いぎりすもんや は英国発信のアンティーク情報サイトです。
  良い品をイギリスから直接、お求め易い価格でお届けします。

英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋 トップ(取り扱い一覧)へ 新着品物 一覧へ アンティーク情報記事 一覧へ 英吉利物屋ご紹介へ

スターリングシルバー アクセサリー 6



No. 18657 グッドラックのお守り & ボールマーカー ジョージ六世 シリング銀貨
シリング銀貨の直径 2.35cm、重さ 6g、厚さ 1.5mm、シリング銀貨は1945年 鋳造、

「シリング(Shilling)」という、今では廃~されてしまってもうない貨幣単位のノスタルジックな響きと、銀貨であることに惹かれます。

グッドラックのシリング銀貨、рヘゴルフの時にボールマーカーとして使っています。 銀貨のグッドラック効果がよいのか、グリーン上で集中力が増し、好結果につながるように思います。 イギリス人のゴルファーはカナダやニュージーランドなど外国コインをマーカーに使う人も多いですが、お膝元であるイギリスの、それも銀貨と分かると、興味を示す人が多いので、話題性もあってグッドです。

ハ真二番目の肖像は現女王エリザベス二世の父君にあたる英国王ジョージ六世です。 「王位を賭けた恋」で有名なエドワード八世が劇的な退位を遂げた後に、急膀、英国王になったのがジョージ六世でした。 ご本人も自分が国王向きなパーソナリティーであるとは思っていなかったようで、それまでに国王になる準備がまったく出来ていなかったこともあって、初めのうちは周囲からも大丈夫だろうかと心配されました。 

ところがその後の対ドイツ戦争中に、側近たちがバッキンガム宮殿からの疎開を進言したのに、それを拒んで、爆撃を受けるロンドンから執務を続けたことで、国民の人気が上がりました。 戦争中のロンドンはしばしばドイツの爆撃機が来たり、さらにはV1やV2と呼ばれるミサイルまでもが飛んでくる危険な状況でありました。 そんな中でロンドンにあって英国民を鼓舞し続けたジョージ六世の評価が上がったのは当然と言えば当然でしたが、さらには王妃や子供たちを大切にする理想的な家庭の夫であったことも、「良き王」として英国民の尊敬を集める理由となったのでした。

ハ真一番目では大きな王冠の上に両手に剣を持ったライオンが座っています。 細かいことを言うと、大紋章の各部を構成する部分にはいろいろな呼び名がありますが、紋章の天辺にある飾りをクレストと言います。 ジョージ六世の大紋章のクレストが、ハ真一番目に見える王冠&ライオンのデザインであるわけです。

ポンド、シリング、ペンスと三つの単位を持っていた英国の旧通貨単位はなんだかとても複雑で、十二進法が混じっているので計Zするのも億劫です。 一方で、今ではもうないシリング銀貨という言葉の響きにはノスタルジーを感じます。 

例えば、ヴィクトリア梠繧ノ英国留学した夏目漱石がシャーロック・ホームズで有名なロンドンのベーカー街で昼食したら 2シリングほどだったと日記に書いていて、そんな資料から当桙フ暮らしに思いを馳せるのも、シリング銀貨を通じたノスタルジックなアンティークの楽しみ方と思います。

イギリスで人気のある強い動物といえば、まずはライオンが挙げられます。 イギリスの数多いパブの中にあって、もっとも多い名前が「Red Lion」で、英国人のライオン好きを示しています。 この国には約六万繧フパブがありますが、そのうちで一番多いパブの名前は「Red Lion」で、六百軒のレッドライオンがあると言われます。 英国中のパブのうちほぼ百軒に一軒はレッドライオンという計Zです。

歴史的に見ても、O頭のライオンは『ライオンハート(R心王)』の愛称で知られる12世紀の英国王リチャード一世時代からのエンブレムです。 リチャード一世は十年間の治世中に国内にいたのがたったの六ヶ撃ニいう王様で、海外での戦いに明け暮れた英国王でした。 戦いで名を馳せ、ライオンハートの称号を得て、その勇気と生きざまは騎mの模範とされています。 

そして現代ではサッカーのイングランド代表が使うエンブレムが、まさにこのスリーライオンなのです。 そんなわけで、サッカーのイングランド代表のことを 『11頭のライオン』と呼ぶのも一般です。

さらに言えば、スターリングシルバーの銀純度を保証するブリティッシュ ホールマークも横歩きライオンの刻印で、ライオンパサントと呼ばれます。 

こうしてみると、イギリスにおいては大事なものはみなライオンといっても言い過ぎではないように思います。

『裸の王様』、『みにくいアヒルの子』、『人魚姫』などで有名なアンデルセンの作品の中に、19世紀半ばに書かれた『シリング銀貨』というおとぎ話があります。 外国旅行に出かけた英国紳mの財布にあった一枚のシリング銀貨が、異国の地で財布からこぼれてしまい、いろいろな人たちを巡りめぐって、最後には元々の持ち主であった英国紳mのもとに戻ってくるというストーリーです。 

物語の中で、シリング銀貨に穴をあけて糸を通し「Lucky Shilling」として身に着けるという話が出てきます。 シリング銀貨は大き過ぎず、小さ過ぎず、ペンダントヘッドにちょうど良いサイズであることと、シルバーという素材は幸福に通じることから、遠いヴィクトリアンの時代よりラッキーシリングとして好まれてきた背景があるようです。 

シリング銀貨の周りにはギザギザが付いており、これはよく見かける硬貨の特徴ですので、当たり前のように思われるかも知れません。 ギザギザがあった方が滑り難くて、クいにくいからでしょうか。 それもあるかも分かりませんが、最初にギザギザ銀貨が鋳造されたのは三百五十年ほど前の1663年のことで、それにはもっと大事な理由がありました。

銀貨の歴史を紐解くと、遠い昔には銀の重量そのもので商取引が行われた時代もありました。 しかしこれでは取引毎に重さを量ったり、銀の純度を疑ってみたりと、円滑な取引が出来ません。 そこで銀貨が発明されました。 桙フ為政者が銀貨の質を保証して、人々は銀の重量ではなくて、銀貨の刻印を信じて商取引をするようになりました。 

銀の重量ではなく、硬貨に刻まれた文字や数嘯ノよる支払いは、商業活動を大いに伸ばしたわけですが、悪いことする人たちも出てきます。 銀貨の端から銀を少しずつ削り取って銀を盗むのです。 銀貨の重さが少し軽くなっても、表面に刻まれた価値で取引が出来ることを願いながら。 

しかしこうした泥棒行為が幅を利かせてくると、『グレシャムの法則』が働き始めます。 グレシャムは「悪貨は良貨を駆逐する。」と言いました。 綺麗で完全な銀貨と、軽くなった銀貨が手元に入ってくると、人々wズ麗な銀貨は手元に残し、軽くなった銀貨は取引に使おうとします。 こうして良貨は退蔵されて世の中から駆逐され、やがて流通する銀貨は悪貨ばかりになっていくというわけです。

銀貨のギザギザは、銀貨の周囲から少しずつ銀を削り盗る不正を予防するために、イギリスで1663年に初めて導入されたのでした。

最後に、イギリスの昔のお金についてですが、1ポンド=20シリング=240ペンスなので、「1シリング」=「12ペンス」になります。 ポンド、シリング、ペンスと三つの単位を持っていた英国の旧通貨単位はなんだかとても複雑で、十二進法が混じっているので計Zするのも億劫です。
昔、サマセット・モームの「撃ニ六ペンス」の題名を初めて見た時に、なぜ六ペンスなのかと思ったものですが、十二進法の通貨単位では、ちょうどきりがよい数嘯ナもあるのです。
1971年になってようやく旧通貨制度が廃~され、1ポンド=100ペンスのすっきりした十進法の制度に代わって現代に至っています。 

この十二進法梠繧フ名残が、今日の英国人の暮らしにまだ残っていることに、先日気が付きました。 娘が通ったイギリスの小学校では、掛け算の九九のことを「Times Table」と呼んで、低学年の子供たちは日本と同じように暗唱するまで練習します。 ところが日本と違うのは「一の段」から始まる九九が「九の段」で終わらないのです。 イギリスの九九は12*12まで覚えます。 日本の九九は81通りですが、英国の九九は12*12=144通りです。 今日の十進法の暮らしなら「十一の段」や「十二の段」は不要なはずですが、ずいぶん昔の名残が未だに残っていて、先生たちも「十二の段」まで教えないと翌ソ着かないのでしょう。 

このややこしい12進法の呪縛をイギリス人にかけたのは、一千年近く前にイングランドを征服してノルマン王朝を開いた、元々はフランス貴族のノルマンディー公ウィリアム(=ウィリアム一世)だったことが知られています。 彼がやってくる前のサクソン梠繧フイングランドでは、「1シリング」=「5ペンス」だったものを、この新しい征服メが「1シリング」=「12ペンス」にせよと定めたのでした。 そしてその後、お金の単位については1971年までウィリアム一世の定めが守られてきたわけで、そしてまた、今でも21世紀の子供たちが「十二の段の九九」を習っているわけなのです。

グッドラックのお守り & ボールマーカー ジョージ六世 シリング銀貨


No. 19064 ヴィクトリアン シリング 銀貨 ペンダントヘッド
ペンダントヘッド縦の長さ(留め具を含む) 2.65cm、銀貨の直径 2.35cm、重さ 6g、厚さ 1.5mm、シリング銀貨は1891年鋳造、
『裸の王様』、『みにくいアヒルの子』、『人魚姫』などで有名なアンデルセンの作品の中に、19世紀半ばに書かれた『シリング銀貨』というおとぎ話があります。 外国旅行に出かけた英国紳mの財布にあった一枚のシリング銀貨が、異国の地で財布からこぼれてしまい、いろいろな人たちを巡りめぐって、最後には元々の持ち主であった英国紳mのもとに戻ってくるというストーリーです。 

物語の中で、シリング銀貨に穴をあけて糸を通し「Lucky Shilling」として身に着けるという話が出てきます。 シリング銀貨は大き過ぎず、小さ過ぎず、ペンダントヘッドにちょうど良いサイズであることと、シルバーという素材は幸福に通じることから、遠いヴィクトリアンの時代よりラッキーシリングとして好まれてきた背景があるようです。 

アンデルセンの『シリング銀貨』は岩波文庫あたりで手に入りますので、ハ真のシリング銀貨ペンダントヘッドをお求めいただく方には、是非ご一読いただければ、品物への愛着が増すことでありましょう。

ハ真のアクセサリーは、今から百二十年以上前のヴィクトリア梠繽Iわり頃に鋳造されたシリング銀貨をペンダントヘッドにしたものです。 ハ真二番目に見えるシールドリバース エンブレムと、反対サイドにはヴィクトリア女王のポートレートが入っています。 シールドリバースのエンブレムが素敵で好きなこともあって求めました。

ヴィクトリア女王時代に好まれたシールド リバースが片面のデザインに採用されています。 描かれているのは、右上にライオンの立ち姿でライオンランパント、左下にはハープクラウンド、そして三頭のライオンは『ライオンハート(R心王)』の愛称で知られる12世紀の英国王リチャード一世時代からのエンブレムです。 銀貨の下部には1891年の年号が見えます。

余談ですが、リチャード一世は十年間の治世中に国内にいたのがたったの六ヶ撃ニいう王様で、海外での戦いに明け暮れた英国王でした。 戦いで名を馳せ、ライオンハートの称号を得て、その勇気と生きざまは騎mの模範とされています。 そして現代ではサッカーのイングランド代表が使うエンブレムが、まさにこのスリーライオンなのです。

クイーン ヴィクトリアが若干18歳の若さで英国王位を継承したのは1837年のことで、この年から1900年までの64年間がヴィクトリア梠繧ノあたります。 ヴィクトリア女王は在位期間が長かったことと、その時代は英国の国力が格段に伸張した時期と重なっていた為に、イギリスjの中でも特にポピュラーな国王となりました。 アンティークの分野にあっても、この時代の物品を指すヴィクトリアーナ(Victoriana)という用語もあって、ヴィクトリア梠繧専門とするコレクタターが大勢いるわけなのです。

ヴィクトリア梠繧フイギリスについては、「英国アンティーク情報」欄にあります「31. 『Punch:1873年2・2日号』 ヴィクトリアンの英国を伝える週刊新聞」や「14. Still Victorian」の解説記魔熏椹てご覧ください。

シリング銀貨の周りにはギザギザが付いており、これはよく見かける硬貨の特徴ですので、当たり前のように思われるかも知れません。 ギザギザがあった方が滑り難くて、クいにくいからでしょうか。 それもあるかも分かりませんが、最初にギザギザ銀貨が鋳造されたのは三百五十年ほど前の1663年のことで、それにはもっと大事な理由がありました。

銀貨の歴史を紐解くと、遠い昔には銀の重量そのもので商取引が行われた時代もありました。 しかしこれでは取引毎に重さを量ったり、銀の純度を疑ってみたりと、円滑な取引が出来ません。 そこで銀貨が発明されました。 桙フ為政者が銀貨の質を保証して、人々は銀の重量ではなくて、銀貨の刻印を信じて商取引をするようになりました。 

銀の重量ではなく、硬貨に刻まれた文字や数嘯ノよる支払いは、商業活動を大いに伸ばしたわけですが、悪いことする人たちも出てきます。 銀貨の端から銀を少しずつ削り取って銀を盗むのです。 銀貨の重さが少し軽くなっても、表面に刻まれた価値で取引が出来ることを願いながら。 

しかしこうした泥棒行為が幅を利かせてくると、『グレシャムの法則』が働き始めます。 グレシャムは「悪貨は良貨を駆逐する。」と言いました。 綺麗で完全な銀貨と、軽くなった銀貨が手元に入ってくると、人々wズ麗な銀貨は手元に残し、軽くなった銀貨は取引に使おうとします。 こうして良貨は退蔵されて世の中から駆逐され、やがて流通する銀貨は悪貨ばかりになっていくというわけです。

銀貨のギザギザは、銀貨の周囲から少しずつ銀を削り盗る不正を予防するために、イギリスで1663年に初めて導入されたのでした。

最後に、イギリスの昔のお金についてですが、1ポンド=20シリング=240ペンスなので、「1シリング」=「12ペンス」になります。 ポンド、シリング、ペンスと三つの単位を持っていた英国の旧通貨単位はなんだかとても複雑で、十二進法が混じっているので計Zするのも億劫です。
昔、サマセット・モームの「撃ニ六ペンス」の題名を初めて見た時に、なぜ六ペンスなのかと思ったものですが、十二進法の通貨単位では、ちょうどきりがよい数嘯ナもあるのです。
1971年になってようやく旧通貨制度が廃~され、1ポンド=100ペンスのすっきりした十進法の制度に代わって現代に至っています。 

この十二進法梠繧フ名残が、今日の英国人の暮らしにまだ残っていることに、先日気が付きました。 娘が通ったイギリスの小学校では、掛け算の九九のことを「Times Table」と呼んで、低学年の子供たちは日本と同じように暗唱するまで練習します。 ところが日本と違うのは「一の段」から始まる九九が「九の段」で終わらないのです。 イギリスの九九は12*12まで覚えます。 日本の九九は81通りですが、英国の九九は12*12=144通りです。 今日の十進法の暮らしなら「十一の段」や「十二の段」は不要なはずですが、ずいぶん昔の名残が未だに残っていて、先生たちも「十二の段」まで教えないと翌ソ着かないのでしょう。 

このややこしい12進法の呪縛をイギリス人にかけたのは、一千年近く前にイングランドを征服してノルマン王朝を開いた、元々はフランス貴族のノルマンディー公ウィリアム(=ウィリアム一世)だったことが知られています。 彼がやってくる前のサクソン梠繧フイングランドでは、「1シリング」=「5ペンス」だったものを、この新しい征服メが「1シリング」=「12ペンス」にせよと定めたのでした。 そしてその後、お金の単位については1971年までウィリアム一世の定めが守られてきたわけで、そしてまた、今でも21世紀の子供たちが「十二の段の九九」を習っているわけなのです。
ヴィクトリアン シリング 銀貨 ペンダントヘッド


No. 19065 銀の印鑑 バラの花 デザイン シルバー シール
高さ 6.0cm、柄の最大幅 1.85cm、柄の最大厚み 1.05cm、重さ 10g、楕円底面の長径短径 1.85cm*1.5cm、

バラの花レリーフの銀製シールです。 ごろんとした銀のかたまりで、もちろん実用品ではありますが、机の上に立てて眺めてみても楽しめるシルバー アンティークと感じます。

裏面も同様なデザインになります。 下部には素材が銀純度83%のシルバーであることを示す「830S」刻印があります。

シールとは、閹に封をするときに、蝋を溶かしておいて、グッと押して使う印鑑のような品になります。 差出人の証明になるとともに、無理に封書を開けようとすれば、封蝋が壊れてしまうので、この封蝋がある限りは手紙の内容について秘密が守られている証ともなるわけです。 

今日ではほとんど無くなった慣習になりますが、昔のヨーロッパを舞台とした映画などで時に見かけることがあり、ご存知の方も多いでしょう。 現代では一般には使われない珍しいアンティークではあるものの、封蝋付きのレターというのも、してみればかっこよさそうに思うのです。 
銀の印鑑 バラの花 デザイン シルバー シール


No.19053 スターリングシルバー キー ホルダー
長さ 5.8cm、重さ 8g、チェーン部分の銀円環の外直径 7mm、最大横幅 2.4cm

全体がスターリングシルバー素材のキー ホルダーになります。 8グラムの重さがあって、閧ノした感じは、銀の質感がぐっときます。 

チェーン部分の銀円環も太めな作りで、全体のしっかり感が増しています。 スターリングシルバー素材であることを示す『925』刻印があります。 

銀好きの方にお薦めしたと思います。

スターリングシルバー キー ホルダー





No.17034 ダブル グッドラック シリング 銀貨(「Lucky Shilling」) ブローチ
横の長さ 4.6cm、シリング銀貨の直径 2.35cm、全体の重さ 12g、シリング銀貨は1887年鋳造、
もともとラッキーモチーフのシリング銀貨でありますが、二枚重ねの構造で、ラッキー効果も倍増です。

ポワロ シリーズの『Murder in The Mews』を見ていたら、ジャップ警部と事件を目撃した男の子のあいだで、こんな会話がありました。

ジャップ警部:「Here you are, my boy, here's sixpence for you.」
男の子:「Very kind, sir, but you couldn't make it a shilling, could you?」
ジャップ警部:「Go on. Clear off.」

昔のイギリスでは貨幣体系がややこしくて、分かりにくいのですが、ちょっと知ッがあればフムフムとすっきり楽しめます。

シリング銀貨は12ペンスにあたりました。 つまりは、ジャップ警部が目撃証言をしてくれた男の子に、ご褒美として六ペンス銀貨をあげたら、男の子が、ありがとうとお礼を述べながらも、できれば倍額のシリング銀貨をもらえまいか?と言って、ジャップ警部に調子に乗るなと追い払われている場面です。

この品はラッキーシリングものの一つとなりますが、ヴィクトリア女王戴冠五十・N記念のゴールデンジュビリー シリング銀貨が使われております。 お祝い気分とあいまって、やはり縁起物アクセサリーとして作られたものでしょう。

『裸の王様』、『みにくいアヒルの子』、『人魚姫』などで有名なアンデルセンの作品の中に、19世紀半ばに書かれた『シリング銀貨』というおとぎ話があります。 外国旅行に出かけた英国紳mの財布にあった一枚のシリング銀貨が、異国の地で財布からこぼれてしまい、いろいろな人たちを巡りめぐって、最後には元々の持ち主であった英国紳mのもとに戻ってくるというストーリーです。 

物語の中で、シリング銀貨に穴をあけて糸を通し「Lucky Shilling」として身に着けるという話が出てきます。 シリングは大き過ぎず、小さ過ぎず、ペンダントヘッドにちょうど良いサイズであることと、シルバーという素材は幸福に通じることから、遠いヴィクトリアンの時代よりラッキーシリングとして好まれてきた背景があるようです。 

ハ真のようなアンティークが作られた背景が分かって興味深いので、岩波文庫にありますアンデルセン童話集も合わせて読んでみてください。

ハ真二番目に見えるように、表に描かれているのはヴィクトリア女王の横顔です。 女王の若かりし頃はナショナル ポートレートギャラリーにある肖像画でご覧いただけるのですが、以下に写真がありますのでご参考まで。 「英国アンティーク情報、14.Still Victorian

クイーン ヴィクトリアが若干18歳の若さで英国王位を継承したのは1837年のことで、この年から六十余年に及ぶヴィクトリア梠繧ェ始まり、戴冠50・Nのジュビリー イヤーには、盛大なお祝いが行われました。 ヴィクトリア女王は在位期間が長かったことと、その時代は英国の国力が格段に伸張した時期と重なっていた為に、イギリスjの中でも特にポピュラーな国王となりました。

裏面にはヴィクトリア女王時代に好まれたシールドリバースのデザインに採用されています。 描かれているのは、右上にライオンの立ち姿でライオンランパント、左下にはハープクラウンド、そして三頭のライオンは『ライオンハート(R心王)』の愛称で知られる12世紀の英国王リチャード一世時代からのエンブレムです。 銀貨の下部にはヴィクトリア女王戴冠五十・N記念のゴールデンジュビリーにあたる1887年の数嘯ェ見えます

ヴィクトリア梠繧フイギリスについては、「英国アンティーク情報」欄にあります「31. 『Punch:1873年2・2日号』 ヴィクトリアンの英国を伝える週刊新聞」の解説記魔熏椹てご覧ください。
ダブル グッドラック シリング 銀貨(「Lucky Shilling」) ブローチ


No.18636 クラウン(王冠) 飾り スターリングシルバー フォブ ペンダントヘッド
留め具の銀円環を含む縦長 3.8cm、最大横幅 2.3cm、最大厚み 2.5mm、重さ 8g、1934年 バーミンガム アセイオフィス、

王冠やライオンは、昔からイギリス人好みのモチーフでありますが、これはコート オブ アームズ(紋章)によく使われたデザインであることと関係がありましょう。

ハ真のフォブも上部には王冠の飾りが付いており、このあたりはやはり英国風を感じさせる銀製品です。

飾り部分の中央はドーム状にふくらんでいます。 ハ真では映り込みが見えますが、タ際には銀の色合いe畉麗です。 ほとんど使われることなく、現在に至っていると思われ、コンディションのよい銀になります。

裏面には四つのブリティッシュ ホールマークが、しっかり深く刻印されています。 ホールマークは順にメーカーズマーク、バーミンガム アセイオフィスのアンカーマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、そして1934年のデートレター「K」になります。 

ヴィクトリアンやエドワーディアンの作ではありませんが、それでも八十年近く前の1934年作といえば、かなり古い品であることがお分かりいただけると思います。 アガサ・クリスティーの『オリエント急行E人膜潤xが、まさに1934年に出ており、この頃の様qを知る手掛かりに良さそうと思います。 

世界jをざっくり眺めてみますと、アメリカは大恐慌の後遺症で大変な時代でありました。 ヨーロッパでは1939年に第二次世界大戦が始まっております。 日本は満州抹マゃ~ク溝橋事件を経て戦争が拡大し、太平洋戦争に向かっていた頃になります。

ハ真二番目で見て、左から三つ目にあるライオンの刻印が、英国製スターリングシルバーの銀純度を保証するマークになり、重要な刻印です。 このライオンパサントの歴史について少し解説しておきましょう。 

横歩きライオンのマークが初めて導入されたのは今から470年ほど前の1544年のことになります。 これは当档eューダー朝のヘンリー八世が行った低品位銀貨の鋳造と関係があります。 歴史上どこの国でも財政が逼迫してくると、悪貨を鋳造することがひろく行われてきました。 日本の江戸時代にも同じようなことがあったと思います。 

銀貨と銀器がほぼ同等な価値を持っていた昔の時代にあっては、お上の定める低品位銀貨の価値でもって、高品位な銀器と交換されてしまっては、損してしまうことになります。 そこでその銀器が92.5%の銀純度であることを保証するマークとして、ライオンパサントが導入されたわけです。 

歴史や伝統に格別なこだわりを持つイギリス人は、ライオンパサント(=横歩きライオンの刻印)にも特別な愛着があって、五百年の長きにわたって、この刻印を使い続けて今日に到っております。
クラウン(王冠) 飾り スターリングシルバー フォブ ペンダントヘッド


No. 18635 ヴィクトリアン スターリングシルバー ゴールドジュビリー 3ペンス銀貨 ペンダントヘッド
ペンダントヘッドの直径 1.75cm、留め具を含む縦長 2.6cm、チェーンは付属していません、銀貨は1887年鋳造、

イギリスでは銀貨のペンダントヘッドを時に見かけます。 シリング銀貨と比べて、ハ真の銀貨は小振りなサイズになりますが、かえってこのくらいのサイズの方が使いやすいということもあろうかと思います。

ヴィクトリア女王戴冠五十・Nのジュビリー記念銀貨が、銀のフレームに入っています。 ハ真一番目の表の様qはヴィクトリア女王の若かりし頃の横顔で、ヤング ヴィクトリア ヘッドと呼ばれます。 裏面は写真二番目に見えるように、数嘯フ「3」の上にクラウンが載ったデザインです。 「3」と王冠の両サイドに分かれて、銀貨鋳造年の「1887」が見えています。

女王の若かりし頃はナショナル ポートレートギャラリーにある肖像画でご覧いただけるのですが、以下に写真がありますのでご参考まで。 「英国アンティーク情報記磨A14. Still Victorian

ヴィクトリア梠繧ヘ1837年に始まりましたが、それから50年が経った1887年はゴールドジュビリーの記念の年となっていたわけです。 銀貨もフレームもすべてスターリングシルバーというのがポイントです。 フレーム下部には「SILVER」の刻印があります。 

ヴィクトリア梠繧ノは、大はクラウン銀貨に始まって、各蹈竕ンが使われましたが、3ペンス銀貨は銀貨としては最小額になります。 最少額とは言えども銀貨であるわけで、そのあたりに面白さを感じます。 

イギリスの昔のお金についてですが、1ポンド=20シリング=240ペンスなので、「3ペンス」=「l分の一 シリング」になります。 ポンド、シリング、ペンスと三つの単位を持っていた英国の旧通貨単位はなんだかとても複雑で、十二進法が混じっているので計Zするのも億劫です。

1971年になってようやく旧通貨制度が廃~され、1ポンド=100ペンスのすっきりした十進法の制度に代わって現代に至っています。 

この十二進法梠繧フ名残が、今日の英国人の暮らしにまだ残っていることに気が付きました。 娘が通ったイギリスの小学校では、掛け算の九九のことを「Times Table」と呼んで、低学年の子供たちは日本と同じように暗唱するまで練習します。 ところが日本と違うのは「一の段」から始まる九九が「九の段」で終わらないのです。 イギリスの九九は12*12まで覚えます。 日本の九九は81通りですが、英国の九九は12*12=144通りです。 今日の十進法の暮らしなら「十一の段」や「十二の段」は不要なはずですが、ずいぶん昔の名残が未だに残っていて、先生たちも「十二の段」まで教えないと翌ソ着かないのでしょう。 

このややこしい12進法の呪縛をイギリス人にかけたのは、一千年近く前にイングランドを征服してノルマン王朝を開いた、元々はフランス貴族のノルマンディー公ウィリアム(=ウィリアム一世)だったことが知られています。 彼がやってくる前のサクソン梠繧フイングランドでは、「1シリング」=「5ペンス」だったものを、この新しい征服メが「1シリング」=「12ペンス」にせよと定めたのでした。 そしてその後、お金の単位については1971年までウィリアム一世の定めが守られてきたわけで、そしてまた、今でも21世紀の子供たちが「十二の段の九九」を習っているわけなのです。

ヴィクトリア梠繧フイギリス貨幣制度であった金銀複本位制とはどんなものか、もう少し考えてみましょう。

ヴィクトリア梠繧ノはクラウン銀貨、ハーフ クラウン銀貨、シリング銀貨、6ペンス銀貨、3ペンス銀貨などが流通していました。 ここで1クラウンは5シリング(=0.25ポンド)にあたります。 それぞれの重さはクラウン銀貨28.28グラム、半クラウン銀貨14.14グラム、シリング銀貨5.66グラムです。 すなわちクラウン:半クラウン:シリング=5:2.5:1の関係がありました。 つまりは、ヴィクトリア梠繧フマネーは銀の重さによって、その価値が直接保証されていたのです。

さらに、高額貨幣であった金貨を通じて外国との関係を見てみましょう。 ヴィクトリア梠繧フイギリスでは、1ポンドの英国金貨は7.32グラムのゴールドとして定義されました。 そして米国の1ドルは1.50グラムのゴールドと1837年に決められました。 そうすると、金本位制を採用する英米二国間においては、1ポンドが4.88ドルとなって為替レートは固定されます。

この金本位制の仲間に、マルクやフランや円も加わることによって、国際金本位通貨体制が出来ていました。 ノーベル経済学賞のマンデル教授は、その本ソを分かりやすく表現しています。 「国際的な金本位制のもとでは、ポンド、フラン、マルク、円、ドル等々は、特定の重さのゴールドの名前にすぎない。」

現代では主要な通貨間では変動為替相場が一般ですが、ヴィクトリア梠繧フ国際社会においては、ゴールドをアンカーにした固定為替相場がスタンダードであったのです。 

古い時代の為替相場のお話でしたが、この問題は今日的なテーマでもあります。 このところ、双qの赤字(財政赤字と経常赤字)を抱えるギリシャが破綻しそうだ、ドイツは前向きに助けてくれるのかどうか、ユーロ圏では大問題になっております。 そして、「ギリシャ問題の解決を、ドイツの納税者に頼むことはできない。(独経済大臣)」というのがドイツの姿勢らしいです。 だらしないギリシャの財政赤字の尻拭いは反対というのがドイツ国民の感情で、ごもっともと言いたいところです。

ところが、この問題は、かつて列強国間の利害を調整できず、崩壊していった金本位制の再現バージョンとも考えられるのです。 ユーロの国々が、それぞれ別々の国でありながら、共通通貨ユーロを使うことは、ゴールドをアンカーに固定相場を採用していた昔の国々と、ほぼ同様な立場にあることを意味します。 

国民経済計Zの恒等ョ Y=C+I+G+NX を使って、Y(国民所得)と C(消費)と I(投早jを与件とすると、G(政府x出)と NX(純輸出)の間には結びつきがあって、財政赤字と経常赤字は同時に起こりがちと理解できます。 一方でドイツは輸出強国ですが、ユーロ圏内での貿易が過半を占めています。 ドイツの貿易黒嘯ヘ、ギリシャやスペインやポルトガル等々の貿易赤字なのです。

ユーロを導入したギリシャは、為替レートを固定されて、輸出強国ドイツの草刈場となってきたと言えなくもない状況です。 対するドイツは、共通通貨ユーロのおかげもあって貿易黒嘯積み上げやすく、ドイツが懸命に働いて貿易黒嘯増やすと、それがギリシャの貿易赤字と、ひいては財政赤字にも寄与する図ョが、すべてではないにしても、問題の根っこにあります。

共通通貨を導入したからには一蓮托生、ギリシャがだらしないから問題が起こったと言い切れない、本当は抜き差しならぬ関係になっているのですが、それをドイツの選挙民に説明できるドイツの政治家はあまりいないでしょう。 一緒にユーロを使っているのに、そこから起こる問題に対して、「ギリシャ問題の解決を、ドイツの納税者に頼むことはできない。」となってしまうのは、通貨統合したけれども、政治が別々だからです。

百年前の国際金本位制は、結局のところ崩壊し、世界大戦につながっていきました。 ギリシャ問題を発端にユーロも崩壊していくのか、それともユーロ圏の政治統合が進んでいくのか、通貨ユーロの信任は?と考えていくと、ドルや円やゴールドや銀の値段にも跳ね返ってくる古くて新しい問題であって興味の尽きないところです。

ヴィクトリアン スターリングシルバー ゴールドジュビリー 3ペンス銀貨 ペンダントヘッド with チェーン

No. 16322 フランス 1フラン銀貨 ペンダントヘッド ゥ由・平等・蝿、の種を蒔く女性像 &オリーブの枝
直径 2.3cm、重さ 5g、留め具を含む長さ 3.0cm、1フラン銀貨の鋳造年 1916年、

フランス 1フラン銀貨のペンダントヘッドです。 朝日が昇るフィールドに立って、橇蒔く女性像が描かれています。 ェいている種は自由・平等・蝿、の種と言われ、フランス共和国が志向する根本的な価値を表しています。 裏面のデザインはオリーブの枝です。 下の方には鋳造年を示す『1916』の表ヲが見えます。 

第一次大戦で主戦場となったフランスは、国家の疲弊が著しかったので、英国などと比べると早くに金本位制から脱翌オ、それに伴って1フラン銀貨の鋳造も英国より早くに終わっています。 1916年と言えば、第一次大戦が始まって二年目になり、当桙ヘまだ1フラン銀貨でありましたが、銀貨としては最後の頃の鋳造になります。

イギリスではシリング銀貨を幸運をもたらす縁起物として、ペンダントヘッドにすることが、古くから好まれてきましたが、ハ真のペンダントヘッドはそのフランス版といったところです。

『裸の王様』、『みにくいアヒルの子』、『人魚姫』などで有名なアンデルセンの作品の中に、19世紀半ばに書かれた『シリング銀貨』というおとぎ話があります。 岩波文庫にも入っているはずなので、詳しくはそちらをご覧いただくとして、あらすじを申し上げますと。 外国旅行に出かけた英国紳mの財布にあった一枚のシリング銀貨が、異国の地で財布からこぼれてしまい、いろいろな人たちを巡りめぐって、最後には元々の持ち主であった英国紳mのもとに戻ってくるというストーリーです。 

物語の中で、シリング銀貨に穴をあけて糸を通し「Lucky Shilling」として身に着けるという話が出てきます。 シリングは大き過ぎず、小さ過ぎず、ペンダントヘッドにちょうど良いサイズであることと、シルバーという素材は幸福に通じることから、遠いヴィクトリアンの時代よりラッキーシリングとして好まれてきたようです。 

ハ真の品はシリングではなく、1フラン銀貨でありますが、銀貨のよい意味合いを尊ぶ傾向は、古くからどこの国にもあったろうと、容易に理解できると思うのです。

フランス 1フラン銀貨 ペンダントヘッド ゥ由・平等・蝿、の種を蒔く女性像 &オリーブの枝


No.15862 London Academy of Music オリジナルケース入り エナメルワークのスターリングシルバー フォブ
フォブの長さ(留め具含む) 3.9cm、最大横幅 2.8cm、厚み 2mm、重さ 15g、1933年 バーミンガム、オリジナルケース付、

おそらく未使用と思われるLondon Academy of Musicのフォブで、スターリングシルバーの周辺部にはエナメルワークが施されています。 ふっくらと柔らかな感じのフォブになっています。 

こうした品はすぐれて個人的なものですが、なにかしら元気がもらえそうなこと、デザインの良さ、さらに加えてオリジナルケースに入っていることに惹かれて求めました。 

ハ真O番目のホールマークは順にメーカーズマーク、バーミンガム アセイオフィスのアンカーマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、そして1933年のデートレターです。

裏面には「Midsummer 1933」とありますが、以前に扱ったLondon Academy of Musicのフォブには「Christmas 1936」とありました。 一撃笂撃ニ言わずに、季節を示すのはAcademyの伝統であるようで、気に入っています。

London Academy of Music オリジナルケース入り エナメルワークのスターリングシルバー フォブ


No. 15093 フランス製 シルバー ペンダントヘッド
直径 2.1cm、最大厚み 1.5mm、縦の長さ(留め具含む) 3.1cm、重さ 5g、フランス製、
表と裏がともに立体感のあるレリーフデザインで、マリア像の顔立ちもよろしくて気に入りました。 ハ真一番目の表側のみならず、ハ真二番目に見られるように、裏面のデザインも素敵です。 ホールマークはありませんが、重さを含めた手にした感じや金属の風合い、そして銀磨き液でお手入れしたとこよズ麗になった様qからみて、素材が銀であることは間違いないでしょう。

当桙ニしては、素材が銀ですので大量生産品ではないのですが、рェルーペで観察してみるに、レリーフ状に盛り上がった細工で、これを彫刻刀で彫り出すことは、如何に当桙フ巧であってもまず無理なことと思われます。 細部は彫刻刀を加えた可能性があろうかと思いますが、型押しで全体を調整したものと考えます。

ハ真一番目で丸いペンダントヘッドを時計とみて 5桙フあたりに文字があるようだが、何だろうかとご質問がございました。 あらためて手元に出して調べてみましたところ、ルーペを使って見てみますと、確かに文字がありました。 肉眼では見えないほど小さな文字なので、サイトの写真でご覧になって、よく気がつかれたものだと驚いております。

文字は「PENIN」とあります。 ご質問いただいた方から情報をいただきましたので、皆様にもご紹介させていただきましょう。 「PENIN」とあるのは、フランス リヨンsのメダル彫刻家 Adolphe Peninのサインであるとのこと。 Penin家は4代にわたってメダル彫刻家なので、Penin家のどなたかのサインと思われますが、Peninとしか書かれてないのはアドルフ・ペナンが多いようです。

ちなみに L.PENINであればリュドヴィク・ペナン、P.PENINはポール・ペナンとなります。 緻密な彫刻で美術品のような作品が特徴で、マリア様の表情も良いことから、一目でPenin家のものと確信されたそうでした。

それから、このフランス アンティークにまつわる追加情報になりますが、ハ真の品は北フランスの海岸沿いにあるボローニュ・サ・メールという街で求めました。 この街は紀元前一世紀にはジュリアス・シーザー率いるローマ軍が駐屯し、イギリス征服を進める前線基地となった古い歴史をもっています。

英仏海峡を見据える要衝であったことから、旧s街は今日でも城壁に囲まれた城塞のままで、石畳の通りからノートルダム實@の尖塔が見えて、タイムスリップしたような雰囲気を楽しめるアンティークな趣の街となっています。

城壁に囲まれた旧s街は、U策にいいところです。 ビストロとか多くて、ランチで賑わっておりました。 海のそばなので、ムール貝を食べている方が多かったのを記憶しております。 рヌも家族もムール貝にしました。 品物は新s街のアンティークショップで見つけました。 銀製品は少なかったので、見つけたのはラッキーだったと思います。

フランスへは仕入れも兼ねて時々旅で出かけます。 たいていはドーバー海峡を越えて車で行きますので、北フランスからベルギー辺りが多いです。 しかし、あまり土地勘がないので、アンティークの仕入れはそれほど多くできません。 旅をしたり、フランスの食材を買ったりするのが主な目的になってしまいがちです。

それから、vうに、英吉利物屋の取り扱い品は銀が多いのですが、フランスにはシルバー アンティークがそもそも少ないように思います。イギリスと比べてのお話ですが。

もう一つ、あらためてペンダントヘッドを手元で眺めておりまして、PENINのサインが裏面にもあることに気がつきました。 表のサインについては、お客様との遣り取りとして、説明に書いたとおりです。 裏面にも下の方に小さくPENINとあります。 追加情報まで。

ハ真O番目はボローニュ・サ・メールのアンティークなポスターです。 日傘をかざしてオペラグラスを手にした貴婦人と、魚網を担いだ漁tの組み合わせが、なんだか可笑しいのですが、パリから一日に24本出ている急行で三條ヤだとか、汽船が就航している様qからみて、エドワーディアンの頃のボローニュ・サ・メールでしょう。
フランス製 シルバー ペンダントヘッド

英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋 トップ(取り扱い一覧)へ 新着品物 一覧へ アンティーク情報記事 一覧へ 英吉利物屋ご紹介へ