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No. 14833 ライオン ランパント(立ち姿ライオン紋章) ヴィクトリアン スターリングシルバー ハノーベリアンパターン バターナイフ
長さ 19.9cm、重さ 54g、ブレード最大幅 2.5cm、柄の最大幅 1.9cm、柄の最大厚み 4.5mm、1891年 ロンドン、Charles Boyton作、二万二千円

長さが20センチほどあって、重さが54グラムという持ちはかり、そして柄の厚みが最大で 4.5ミリもあるキングサイズです。 銀の質感からもたらされる重厚な雰囲気に特徴があるヴィクトリアン アンティークに仕上がっております。 柄先に向かって末広がりなハンドル部分は山の尾根のように少し盛り上がった構造で、柄の中心線が稜線のようになっています。 

写真二番目にあるように、柄先には片手に短剣を持ち、立ち上がって咆哮するライオンの紋章が入っているのも、この品の魅力と言えるでしょう。 ライオンの歩行姿マークが「ライオンパサント(Lion Passant)」であるのに対して、ライオンが後ろ足で立ち上がった姿は、「ライオンランパント(Lion Rampant)」と呼ばれます。 ライオンランパントのエングレービングは精巧な仕上がりなので、手元にルーペがあれば、アンティークを手にする楽しみが増えると思います。

紋章の基礎知識について、少しお話しましょう。 紋章はコート オブ アームズと言うのが一般には正式です。 クレストという言葉もありますが、クレストとは紋章の天辺にある飾りを言います。 紋章の各部分の名称として、例えば英国王室の紋章の両サイドにいるライオンとユニコーンの部分をサポーターと言い、中央の盾状部分をシールドまたはエスカッシャンと言います。 さらに細かく言うと、写真のバターナイフに刻まれた紋章では立ちライオンの足元に棒状の飾りが見えますが、これはクレストの台座であって、リースと呼ばれます。

英国王室の紋章については、以下もご参考まで。
http://www.igirisumonya.com/14864.htm

ただし、紋章のすべてを描いて使うのは、大掛かり過ぎるので、その一部をもって紋章とされることも多く、中紋章とか大紋章という言い方もあります。 しかし、その区別は厳密でないので、紋章の一部をもってコート オブ アームズという言い方をしても差し支えありません。

写真三番目をご覧いただくと、裏面の柄元に近い部分にあるホールマークは順に、ロンドン レオパードヘッド、スターリングシルバーを示すライオンパサント、1891年のデートレター、そしてメーカーズマークとなっております。

写真のバターナイフはアンティークシルバー好きな方にとっては、時代考証的に見て、いろいろと考えさせられるポイントが多いという意味で珍しい品であります。

この品はヴィクトリアン後期の1891年の作ですが、バターナイフの柄先が手前に曲がっているハノーベリアンパターンを採用しています。 ハノーべリアンパターンというのは1710年頃から約半世紀にわたって好まれたクラシックパターンです。 その後はテーブル セッティングのマナーが変わって、それまで伏せてセッティングされる習いであったテーブルウェアが、今日と同じように表向きに置かれるようになったこともあって消えていったパターンです。

と言うわけで、ヴィクトリア後期のハノーベリアンパターンは珍しく、あまり見かけません。 そしてこのバターナイフの作者はちょっとした思い付きでスプーン柄先を手前に曲げたわけではなく、はっきりと確信をもって、当時から見て約一世紀前のクラシックパターンを再現させたという証拠がまだあります。

写真三番目のホールマークを見ると、柄のブレードに近い部分に刻印が並んでいるのがお分かりいただけると思います、これはボトムマーキングと呼ばれます。 ジョージ三世(1760年−1820年)以降の後世のテーブルウェアでは、幅広で刻印がしやすい柄先に近い部分にホールマークを刻つのが普通です。 このボトムマーキングは1700年代前半のハノーべリアンパターンの頃のやり方なのです。

もう一つ、このバターナイフがかなりのキングサイズであることと、鏝状(こて状)構造をしていることも、レトロなテーブルウェアを意識した結果であると感じます。 

バターナイフは元々バタースペードという鏝状(こて状)のシルバーウェアから発展してきた経緯があります。 このバターナイフはブレード面に対して柄先が4センチほど高い位置にくる構造で、その昔の「こて状バタースペード」の面影を残しているという意味で、バターナイフの歴史的発展過程を示しているわけで、博物館的な興味を感じさせてくれるアンティークと言えましょう。 

最後に、この品のデートレターをご覧いただくと、その形が盾状をしていて特徴があります。 ロンドンアセイオフィスにおける19世紀のほぼ第四四半期にあたる1877年から1895年までのデートレター サイクルは「盾」と覚えておかれると、アンティークハントの時には便利です。 この時代はイギリスの国力が大いに伸張した時期にあたることから、今日においてもこの頃のアンティークに出会う可能性も高いのです。 デートレターをすべて暗記することは難しくても、「ロンドンの盾はヴィクトリアン後期」と覚えておくと役に立つでしょう。

ハノーベリアンパターンを含む英国テーブルウェアのパターン変遷については、アンティーク情報欄の「4.アンティーク イングリッシュ スプーンパターン」の解説記事を、それからバターナイフの歴史については、「9.トラディショナル イングリッシュ バターナイフ」の解説記事もご参考ください。

【 追記 】 
コート オブ アームズ(=紋章)を使っていた人々とは、どういう階層の人たちであったのか、考えてみました。

コート オブ アームズの体系化や研究は、イギリスにおいて九百年ほどの歴史を持っており、紋章学(Heraldry)は大学以上の高等教育で学ぶ歴史学の一分野となっています。 中世ヨーロッパにおいては、多くの国々に紋章を管理する国家機関がありました。 今ではなくなっているのが普通ですが、面白いことにイギリスでは紋章院がまだ活動を続けています。

今日のイギリスは品のよい国のように見られることが多いですが、歴史を紐解きますと、節操のないことで名高い時代も長くありました。 キャプテン・ドレークは世界を航海して略奪をきわめて、当時の国家予算に匹敵するほどの金銀財宝を奪って帰ってきたので、エリザベス一世から叙勲を受けました。 お金がすべてという傾向は、紋章院においてもあったようです。

紋章学や紋章院の働きについて書かれた本が、『HERALDRY IN ENGLAND』(Anthony Wagner著、Penguin Books、1946年刊)です。

この本によりますと、紋章院が認めてきたコート オブ アームズは四万あるとのこと。
一方で英国の王侯貴族にあたる家柄は千足らずとなっています。

この数字のバランスから分かることは、第一にコート オブ アームズは王侯貴族だけのものではないこと。 第二に、そうは言っても、代々伝わるコート オブ アームズがある家系は、英国の中でも数パーセントに過ぎず、その意味で日本における家紋とはだいぶ違っていること。

産業革命が進行して、新興富裕層が厚くなってきたのがヴィクトリア時代の初め頃になります。 当時の富裕層はコート オブ アームズを求めましたし、また求めれば手に入る性質のものであったようです。

ライオン ランパント(立ち姿ライオン紋章) ヴィクトリアン スターリングシルバー ハノーベリアンパターン バターナイフ



裏面の様子

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