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No. 16452 エドワーディアン ブライトカット フェザーエッジ スターリングシルバー ナイフ
長さ 15.2cm、重さ 20g、ブレード最大幅 2.0cm、1904年 シェフィールド、Henry Williamson Ltd作、一万一千八百円

このデザインはブライトカットのヴァリエーションで、フェザーエッジと呼ばれ、光の反射を美しく誘います。 また、ブレードの柄に近いところには、植物文様の彫刻がアクセントになっています。 百年以上も前に作られたエドワーディアンの銀製品ですが、コンディション良好な美しい品です。 柄元あたりで銀の厚みは2ミリほどあり、しっかり出来ています。 

もちろん実際に使える品でありますが、この銀の輝きを見ていると、飾って眺めているだけでも十分に楽しめそうなエドワーディアン シルバー アンティークと感じます。 元々はバターナイフとして使われた銀製品ながら、全体のフォルムを見ていると、また、この美しさを見ていると、ペーパーナイフとしてデスク周りで使ってみたいとも思います。。

写真二番目にあるように、柄の裏面にはブリティッシュ ホールマークがどれもしっかり深く刻印されているのもよいでしょう。 ホールマークは順にシェフィールド アセイオフィスの王冠マーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、1904年のデートレター、そしてHenry Williamson Ltdのメーカーズマークになります。

フェザーエッジの歴史は古く、イギリスのシルバーウェア史に現れたのは、今から二世紀半ほど前になります。 より具体的には、この装飾的なフェザーエッジの技法が初めて登場したのは1770年代のことでしたが、それは良質の鋼(はがね)が生産可能となってエングレービングツールの性能が向上したことによります。

似たような装飾技法にブライトカットがあり、フェザーエッジはブライトカットの派生系と言われます。 しかし、二つは歴史的にほぼ同時期に作られ始めていることから、二つの技法の関係は派生関係というよりも、双子の関係に近いとも考えられます。 

ブライトカットは、ファセット(彫刻切面)に異なった角度をつけていくことによって、反射光が様々な方向に向かうようにした彫刻技法です。 ファセットは平面状で一種類、それを互い違いに角度を変えて彫っていきます。 

フェザーエッジはU字谷とV字谷を隣合わせに彫っていく手法です。 V字谷のファセットは平面で向かい合う二面の角度が違っているところはブライトカットに似ています。 加えてU字谷のファセットは凹面状なので、当然ながらその反射光も様々な方向に向かいます。 V字谷のシャープな反射光に対して、U字谷の反射光は穏やかな感じで、二種類の輝きのコントラストに特徴があります。

一本の彫刻刀で作業を行うブライトカットに対して、フェザーエッジではU字とV字の二種類の彫刻刀を使いますので、その意味でブライトカットの進化系あるいは派生系がフェザーエッジと言われるのかも知れません。

シルバースミスのHenry Williamson Ltdは、ヴィクトリアン中期の1865年にヘンリー・ウィリアムソンが創業した銀工房です。 1895年には時計店を買収して小売部門を拡張し、1899年に今度はファクトリーを買収して製作部門を強化しています。 ヴィクトリア期の最後の頃には、シルバー部、シルバープレート部、ジュエリー部、時計部、眼鏡部等を抱える大きなビジネスに成長していたようです。 1920年代には、英国産業フェアやスペイン バルセロナのフェアに出展したりと活躍しましたが、1929年世界大恐慌のあおりを受けて店を閉じました。 この銀のナイフはエドワーディアンで1904年の製作ですから、H. Williamson Ltdが最も勢いの盛んだった頃の品と言えそうです。

英国でアンティークという言葉を厳密な意味で使うと、百年以上の時を経た品物を指します。 このシルバーナイフが作られたのは1904年ですから、正式なアンティークに仲間入りしているわけです。 日本における1904年といえば日露戦争の頃にあたり、ずいぶんと昔のことになりましょう。 やはり百年経っているということは、アンティークとしての大きな魅力になるでしょう。

写真のアンティークが作られた時代はずいぶんと昔のことになります。 どんな時代であったのか、少し見てみましょう。 当時のメインイベントは日露戦争でありました。 『中央新聞 1903年10月13日付』の「火中の栗」という風刺画を見たことがあります。 コサック兵(露)の焼いている栗(満州)を、ジョンブル(英)に背中を押されて、日本が刀に手をかけて取りに行こうとしている風刺画です。 1902年には日英同盟が結ばれています。 ロシアはシベリア鉄道の完成を急ぎ、大規模な地上軍が極東に向けて集結しつつあった当時の状況が描かれています。

開戦後の翌1904年には、こんどは世界史上の大海戦の行方に関心が集まっております。 バルト海、北海、大西洋、喜望峰を経て日本へ向かうロシアのバルチック艦隊の動きが注視され、当時のイギリスでは日本海海戦の行方が大変な興味を持って見守られていたとの記録が残っています。

ロシアのバルチック艦隊は日本へ向けて航行中でした。 そして1904年10月にはイギリス沖合いの漁場ドッガーバンクで、漁船を日本の水雷艇と誤認したバルチック艦隊が、英国漁船砲撃事件を引き起こして、英国世論が激高する事態となっています。 

日本に向かって戦争に行くロシア艦隊が、途中で英国漁船を何百発もの砲弾で打ち払って、間違いと分かった後には救助もせずに通り過ぎてしまったのですから、誰だって怒るだろうと思います。 

当時の日本とイギリスは日英同盟を結んでおりましたが、ドッガーバンク事件を契機にイギリス世論もおおいに日本に味方しました。 そしてイギリス政府によるバルチック艦隊の航海妨害などナイスアシストもあって、日本海海戦に向けて有利な展開となったのは幸いでした。 

明治39年(1906年)には夏目漱石の『草枕』が出ております。 時代背景はこのアンティークが使われていた頃とほぼ重なっております。 東京を離れた温泉宿で非人情の旅をする画工の話ですから、当時の社会情勢がメインテーマではありませんが、それでも、出征していく若者を見送ったり、日露戦争や現実社会の影が背景に見え隠れしています。 昔の時代に思いを馳せるアンティークな資料として、私のお気に入りの一つです。

このエドワーディアン アンティーク シルバーが作られたのは、ロンドンに夏目漱石が留学していた頃でもあり、当時のイギリスの様子は以下の解説記事もご参考ください。
45. 夏目漱石のイギリス留学、アーツ・アンド・クラフツ ヴィクトリアン シェイクスピア本、そして漾虚集(ようきょ集)

エドワーディアン ブライトカット フェザーエッジ スターリングシルバー ナイフ



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