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No. 6982 ジョージ三世 スターリングシルバー ビーズパターン デザートスプーン with クレスト
長さ 17.4cm、重さ 35g、ボール部分の長さ 5.8cm、ボール部分最大幅 3.5cm、深さ 0.9cm、1778年 ロンドン、George Smith三世作、二万三千円

この品は英吉利物屋の取り扱い品の中でも画期的に古いもので、今から228年前の1778年に作られています。 18世紀のそれも70年代の品となると、よい品にはなかなか出会えないものなのです。 6980 デザートスプーンとペアで求めた二本目になります。 こちらもコンディションがよろしくて、羽ばたく鷲の紋章も素敵です。

ペアではありますが二世紀以上前のことですので、一つずつが手作りなわけで、長さや重さが微妙に違っているのみならず、羽ばたく鷲の顔つきも違っているのは面白いところです。

裏面のホールマークを見てみると、柄のボールに近い部分に刻印するボトムマーキングの手法が採られていて、さらにジョージ三世の横顔マーク、すなわち税金支払い済みを示すデューティーマークがないところは、この品がその古さを自ずから語っている部分であり、コレクターの目の付けどころとなっています。

ジョージ三世の時代は1760年から1820年までの60年間で、この時代のメインイベントはアメリカ植民地が本国である英国から独立を企てたことであり、大変な時代でありました。 英国が対米戦争の戦費を補填するために銀への課税を決めたことが、1784年からのデューティーマークの導入となるわけで、そのマークがないことは、アンティークとしての古さの目印となるわけです。

裏面のホールマークは順に、George Smith三世のメーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、ロンドン レオパードヘッド、そして1778年のデートレターになります。

英国シルバーフラットウェアの歴史を紐解くと、1700年代後半から1800年代初めの頃には、有力シルバースミスとして四つのファミリーがありました。 それらはChawner家、Fearn家、Eley家、そしてSmith家の四つのファミリーでした。 彼らは互いに競争しあうと同時に、徒弟制度を通じてお互いに密接に結びついていたので、ある意味ではギルドの枠内で四ファミリーがもっと大きな大家族を構成していたと考えてよいかも知れません。 と言いますのは、トーマス・チョーナーの下で徒弟として修行を積んだのが、ウィリアム・ファーンやジョージ・スミスであって、長じたウィリアム・ファーンの下で修行をしたのが、ウィリアム・チョーナー二世やウィリアム・イーリーであるといった、徒弟制度上の樹形図で四つのファミリーは結びついていたからなのです。

このデザートスプーンは四大ファミリーの一つであるスミス家のGeorge Smith三世によって作られた品となります。

英国の歴史は比較的安定していたことが特徴で、隣国フランスのように大きな革命や動乱を経験せずに今日に至っており、そのおかげもあってイギリスにはアンティークのシルバーが多く残っているとも言えます。 しかし、このデザートスプーンが作られた時代は、イギリスにおいてもかなり世の中が荒れて、政治が混乱した時代でした。 一つには産業革命の影響で英国社会に大きな変化が起こりつつあって、ロンドンでは打ち壊しのような民衆暴動が頻発していたことがあり、二つには国王ジョージ三世がアメリカ植民地経営に失敗してアメリカ独立戦争を招いたことなどが混乱に拍車をかけました。 このデザートスプーンが作られたのは、アメリカ独立戦争で英国が劣勢になってきて社会不安が増していた頃ですし、18世紀後半にロンドンで起こったゴードン暴動では死者が五百人を超える惨事となって革命一歩手前だったようです。 もし英国史がそのコースを少し外していたら、このスプーンを今こうして見ることもなかったかもしれない、などと思ってみたりもするのです。

英国王のジョージ三世については、「5.スターリングシルバー ホールマークとジョージアンの国王たち」の解説記事後半もご参考ください。