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No. 19366 Peter, Ann & William Bateman ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ブライトカット ティースプーン SOLD 
長さ 12.2cm、重さ 12g、ボール部分の長さ 4.2cm、最大幅 2.5cm、ボールの深さ 6mm、柄の最大幅 1.1cm、1799年 ロンドン、Peter, Ann & William Bateman作、一万二千円 SOLD

ジョージ三世の時代に作られたオールドイングリッシュ パターン スターリングシルバー ティースプーンです。 ジョージアンの時代の中でも、ジョージ三世の治世(1760年から1820年まで)が最も長かったこともあり、この時代のアンティークには「ジョージ三世」の名を冠することが英国ではよくあります。 

写真四番目のように、ホールマークは順にスターリングシルバーを示すライオンパサント、1799年のデートレター、ジョージ三世の横顔はデューティーマーク、そして 「PB,AB,WB」はメーカーズマークになります。 

「PB,AB,WB」 メーカーズマークが、これほどしっかり刻印されていて、識別が容易なアンティーク シルバーはレアものと感じます。

19.ベイトマン ファミリーのメーカーズマーク」の解説記事をご参考いただくと、アン・ベイトマンの息子であるウィリアムが大きくなって銀工房のパートナーに加わった頃の品であることが分かります。 それまで工房を支えてがんばってきたアンも一安心だったろうと想像するのです。

このティースプーンを見ていく場合、ウィリアムが工房に加わり、アン・ベイトマンが引退する少し前に作られたアンティークであることに興味を覚えます。 それまでの十年ほどはベイトマン ファミリーにとって大変な時でありました。

1790年にヘスター・ベイトマンが引退し、彼女の二人の息子達であったピーターとジョナサンによってファミリービジネスは引き継がれました。 ところが翌1791年にはジョナサンが亡くなってしまいます。 ジョナサンの奥方であったアンがご主人に代わり、ピーターとビジネスパートナーを組み、PB,AB(ピーター&アン ベイトマン)のマークで工房は引き継がれました。 大御所へスターの引退と、息子ジョナサンの不幸、そしてジョナサンの奥方アンの登場という工房の歴史を、私はアンの立場から見てしまい、大変な時であったろうと想像するのです。

その後、アンと亡くなったご主人ジョナサンの息子であったウィリアムが大きくなって新たにパートナーに加わり、PB,AB,WB(ピーター、アン& ウィリアム ベイトマン)のマークが使われる時代になりました。 そして息子のウィリアムが一人前になった1805年をもって、アンはようやく引退できる運びとなりました。 それまで工房を支えてがんばってきたアンも一安心だったろうと思うのです。

数多いシルバーウェアの中でもベイトマン ファミリーの品は別格に扱われることが多いようです。 一つには二百年に近い年月を経ているということがあるでしょう。 しかしそれでも、なぜ?と思われる方も多いはずです。 手にとって直に見てみると、ボール部分が先細なタイプで品の良さを感じ、柄の曲線のなんとも言えない優雅さ、手仕事のみが生み出す温かさが多くの人を惹きつけてきた要因であることがわかります。 

そうは言っても、ベイトマン以外のオールドイングリッシュ パターンの品とここがどうしても違うとは私は思わないのですが。 結局のところベイトマンがアンティークシルバーにおいて別格なのは、鶏が先か卵が先かの議論にもなりますが、コレクターの需要が強いからということになるのでは、と思います。

今から二百年以上も前の1799年に作られており、二世紀以上の時を経ているという古さはやはりアンティークとして大きな魅力になりましょう。 英国の歴史は比較的安定していたことが特徴で、隣国フランスのように大きな革命や動乱を経験せずに今日に至っており、そのおかげもあってイギリスにはアンティークのシルバーが多く残っているとも言えます。 しかし、このティースプーンが作られた頃はイギリスにおいてもかなり世の中が荒れて、政治が混乱した時代でした。 

一つには産業革命の影響で英国社会に大きな変化が起こりつつあって、ロンドンでは打ち壊しのような民衆暴動が頻発していたことがあり、二つには国王ジョージ三世がアメリカ植民地経営に失敗してアメリカ独立戦争を招いたことなどが混乱に拍車をかけました。 18世紀後半にロンドンで起こったゴードン暴動では死者が五百人を超える惨事となって革命一歩手前だったようです。 

さらに加えて海外からの不安定要因がイギリスを脅かし始めます。 1789年に始まったフランス革命は次第に先鋭化していって、ついに1793年には国王を処刑してしまうまでになりました。 このティースプーンが作られた頃というのは、おっかなびっくり隣国フランスの様子を窺いながら、当時のイギリスはいつ対岸の火事が飛び火してくるか、ひやひやものでありました。 もし英国史がそのコースを少し外していたら、このスプーンを今こうして見ることもなかったかもしれない、などと思ってみたりもするのです。

ブライトカットは18世紀の終わり頃から、英国においてその最初の流行が始まりました。 ファセット(彫刻切面)に異なった角度をつけていくことによって、反射光が様々な方向に向かい、キラキラと光って見えることからブライトカットの呼び名があります。 この装飾的なブライトカット技術が初めて登場したのは1770年代でしたが、それは良質の鋼(はがね)が生産可能となってエングレービングツールの性能が向上したことによります。

それから、柄先にホールマークを刻印することをトップマーキングと言いますが、1800年前後にロンドンで作られたティースプーン等の小物シルバーウェアのトップマーキングにおいては、ロンドン レオパード ヘッドの刻印を省略することが当時流行っていました。 このティースプーンにもロンドン アセイオフィス マークがありませんが、同時期に作られたロンドン物ではよく見かける傾向なのです。 おそらくロンドン中心思考がこうした習慣を生んだと思われますが、1830年ぐらいから以降は改まりきっちり刻印されるようになっていきます。

オールドイングリッシュ パターンについてはアンティーク情報欄「4.イングリッシュ スプーン パターン」の解説記事を、またジョージ三世については「5.シルバーホールマークとジョージアンの国王たち」後半部分をご覧ください。

Peter, Ann & William Bateman ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ブライトカット ティースプーン (英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)

Peter, Ann & William Bateman ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ブライトカット ティースプーン (英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)

Peter, Ann & William Bateman ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ブライトカット ティースプーン (英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)

Peter, Ann & William Bateman ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ブライトカット ティースプーン (英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)

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