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No. 18797 エドワーディアン スターリングシルバー ビーズパターン ティースプーン 一部 SOLD
長さ 10.4cm、重さ 11g、ボール部分の長さ 3.4cm、最大幅 2.15cm、ボールの深さ 5mm、柄の最大幅 0.9cm、1904年 シェフィールド、Henry Williamson Ltd作、四千八百円(6本あります-->5本あります-->4本あります。)

今から百年以上前のエドワーディアン シルバーで、一世紀以上の時を経たアンティークであることは、やはり特筆すべきポイントと言えましょう。

ビーズパターンのハンドルも個性があってグッドです。

写真二番目に見えるように、四つのシルバーホールマークがしっかり深く刻印されています。 ホールマークは順に1904年のデートレター、スターリングシルバーを示すライオンパサント、シェフィールド アセイオフィスの王冠マーク、そしてHenry Williamson Ltdのメーカーズマークです。

シルバースミスのHenry Williamson Ltdは、ヴィクトリアン中期の1865年にヘンリー・ウィリアムソンが創業した銀工房です。 1895年には時計店を買収して小売部門を拡張し、1899年に今度はファクトリーを買収して製作部門を強化しています。 ヴィクトリア期の最後の頃には、シルバー部、シルバープレート部、ジュエリー部、時計部、眼鏡部等を抱える大きなビジネスに成長していたようです。 1920年代には、英国産業フェアやスペイン バルセロナのフェアに出展したりと活躍しましたが、1929年世界大恐慌のあおりを受けて店を閉じました。 この銀のティースプーンはエドワーディアンで1904年の製作ですから、H. Williamson Ltdが最も勢いの盛んだった頃の品と言えそうです。

写真のアンティークが作られた時代はずいぶんと昔のことになります。 どんな時代であったのか、少し見てみましょう。 当時のメインイベントは日露戦争でありました。 『中央新聞 1903年10月13日付』の「火中の栗」という風刺画を見たことがあります。 コサック兵(露)の焼いている栗(満州)を、ジョンブル(英)に背中を押されて、日本が刀に手をかけて取りに行こうとしている風刺画です。 1902年には日英同盟が結ばれています。 ロシアはシベリア鉄道の完成を急ぎ、大規模な地上軍が極東に向けて集結しつつあった当時の状況が描かれています。

開戦後の翌1904年には、こんどは世界史上の大海戦の行方に関心が集まっております。 バルト海、北海、大西洋、喜望峰を経て日本へ向かうロシアのバルチック艦隊の動きが注視され、当時のイギリスでは日本海海戦の行方が大変な興味を持って見守られていたとの記録が残っています。

ロシアのバルチック艦隊は日本へ向けて航行中でした。 そして1904年10月にはイギリス沖合いの漁場ドッガーバンクで、漁船を日本の水雷艇と誤認したバルチック艦隊が、英国漁船砲撃事件を引き起こして、英国世論が激高する事態となっています。 

日本に向かって戦争に行くロシア艦隊が、途中で英国漁船を何百発もの砲弾で打ち払って、間違いと分かった後には救助もせずに通り過ぎてしまったのですから、誰だって怒るだろうと思います。 

当時の日本とイギリスは日英同盟を結んでおりましたが、ドッガーバンク事件を契機にイギリス世論もおおいに日本に味方しました。 そしてイギリス政府によるバルチック艦隊の航海妨害などナイスアシストもあって、日本海海戦に向けて有利な展開となったのは幸いでした。 

明治39年(1906年)には夏目漱石の『草枕』が出ております。 時代背景はこのアンティークが使われていた頃とほぼ重なっております。 東京を離れた温泉宿で非人情の旅をする画工の話ですから、当時の社会情勢がメインテーマではありませんが、それでも、出征していく若者を見送ったり、日露戦争や現実社会の影が背景に見え隠れしています。 昔の時代に思いを馳せるアンティークな資料として、私のお気に入りの一つです。

エドワーディアン スターリングシルバー ビーズパターン ティースプーン



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