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No. 18662 ジョージ六世 六ペンス銀貨 ペンダントヘッド
銀貨の直径 1.95cm、厚さ 1mm強、重さ 3g、六ペンス銀貨はニュージーランド1946年鋳造、チェーンは付属していません、五千円

英国王ジョージ六世の六ペンス銀貨ペンダントヘッドです。 この銀貨はニュージーランドの銀貨で1946年に鋳造されています。 ニュージーランドの六ペンスは1947年まで銀貨でしたので、写真の品はニュージーランドの六ペンス銀貨としては最後の年に鋳造されたものとなります。 

ニュージーランドとイギリスは歴史や文化的背景を同じくしておりますので、この六ペンス銀貨のアクセサリーが持つ意味合いは、イギリスにおけるそれと一緒ということになりましょう。 

裏面の肖像は現女王エリザベス二世の父君にあたるジョージ六世です。 「王位を賭けた恋」で有名なエドワード八世が劇的な退位を遂げた後に、急遽、英国王になったのがジョージ六世でした。 ご本人も自分が国王向きなパーソナリティーであるとは思っていなかったようで、それまでに国王になる準備がまったく出来ていなかったこともあって、初めのうちは周囲からも大丈夫だろうかと心配されました。 

ところがその後の対ドイツ戦争中に、側近たちがバッキンガム宮殿からの疎開を進言したのに、それを拒んで、爆撃を受けるロンドンから執務を続けたことで、国民の人気が上がりました。 戦争中のロンドンはしばしばドイツの爆撃機が来たり、さらにはV1やV2と呼ばれるミサイルまでもが飛んでくる危険な状況でありました。 そんな中でロンドンにあって英国民を鼓舞し続けたジョージ六世の評価が上がったのは当然と言えば当然でしたが、さらには王妃や子供たちを大切にする理想的な家庭の夫であったことも、「良き王」として英国民の尊敬を集める理由となったのでした。

イギリスでは六ペンスにはラッキーアイテムの意味合いがあって好まれます。 マザーグースのナーサリーライムに、花嫁が身につけると幸せになれるといわれるサムシング・フォーに続いて、以下のように六ペンスが言及されていることが人気の背景にあります。

Something old, something new,
something borrowed, something blue,
and a sixpence in her shoe.

デイビット・スーシェ主演の名探偵ポワロシリーズの一つ、『The Theft of the Royal Ruby (=原作名:The Adventure of the Christmas Pudding)』に、六ペンスにまつわるクリスマスディナーの場面がありました。 

クリスマス プディングに指輪など小物をいくつか入れておいて、取り分けたときに何が入っているか、おみくじのようにして楽しむ趣向があるのです。 ディナーテーブルを囲む人たちから、六ペンスを引き当てた人に、ひときわ大きな歓声があがります。 六ペンスというのは、日本のおみくじで言ったら大吉に相当することが見て取れて、興味深く思いました。

このデイビット・スーシェのポワロシリーズは、1910年代から1930年代に時代設定されており、今から七十年から百年ほど前の様子が描かれております。 当時のイギリスの暮らしや社会の様子が分かるという意味で、アンティーク好きの方にはお薦めしたいと思います。 ディテールにこだわって見ていくと、ますますアンティークに親しみが湧きますし、いろいろと発見があって楽しめます。

六ペンスによい意味合いが付与されてきた背景には、イギリスにおける長い歴史的な事情があるわけですが、そうした歴史の中に「イングランド銀行を救った六ペンス」の話もありますので、ついでにご紹介しておきましょう。

『Manias, Panics and Crashes (Kindleberger著)』という本によれば、南海泡沫事件のさなかの1720年9月にイングランド銀行で取り付け騒ぎが起こり、大勢の預金者がお金を引き出そうと、イングランド銀行に殺到しました。 資金ショート寸前であったイングランド銀行が危うく倒産を逃れたのは、六ペンスのおかげであったというのです。

預金を下ろしに大勢の人たちが押しかけて長蛇の行列となった事態に対して、イングランド銀行が採った作戦は、さくらを行列の前の方に並ばせるということでありました。 そしてさくらの人たちに対して、預金を小銭の六ペンスでもって払い戻すということをしたのです。 

大金を六ペンスで払うものですから、一人の払い戻しにも長い時間がかかりました。 さらには、支払った大量の六ペンスは、裏口からイングランド銀行に還流させて、また使うということを繰り返したのです。

こうして、どうにかこうにか資金ショートを免れて、やりくりしているうちに、セント・ミカエルの祭日がやってきて、人々のパニック心理もようやく落ち着きを取り戻すようになりました。 祭日明けには取り付け騒ぎも収まって、イングランド銀行は正常な業務に戻ることが出来たそうです。

イギリスという国の大本をなすイングランド銀行でさえも、その昔には六ペンスによって救われたという歴史的な事実も、六ペンスのポジティブイメージに一役買っているということは、少なくとも言えそうです。

英国では銀貨に穴を開けただけのペンダントヘッドを時々見かけます。 アクセサリーにしては、あまりに作りが簡単なので、どうしてだろうかと不思議に思っていたのですが、最近この品の背景が分かってきましたので、ご紹介してみましょう。

トーマス・ケイズという人の研究によると、船舶や鉄道の発達によって国外への旅が増えた19世紀には、銀貨に穴をあけて、ジャケットの裏に縫い付けておくなどして、旅先での非常用通貨にするということが行われていたそうです。 当時は多くの国で金銀を本位通貨とする貨幣制度が採用されていたので、世界の大国であったイギリスの銀貨は、いわばトラベラーズチェックのように、英国外でもある程度は通用したというわけなのです。

遠い昔の時代には穴あき銀貨が、私たちが今思う以上に多くあったのではないでしょうか。 そして後の世の中になって、巡りめぐってそれを手に入れた人たちは、ラッキーアイテムの側面を重視して、ペンダントヘッドにされていくものも少なからずあったろうと思うのです。

わざわざアクセサリーにするには作りが簡単過ぎますが、さりとて銀貨に穴をあける仕事は誰もが出来るほど容易くはありません。 初めはトラベラーズチェックとして使われ、後にはラッキーものとして大切にされてきたと考えれば、今日こうした品を時々見かけることに納得がいくのです。

最後にイギリスの昔のお金についてですが、1ポンド=20シリング=240ペンスなので、「6ペンス」=「半シリング」になります。 ポンド、シリング、ペンスと三つの単位を持っていた英国の旧通貨単位はなんだかとても複雑で、十二進法が混じっているので計算するのも億劫です。
昔、サマセット・モームの『月と六ペンス』の題名を初めて見た時に、なぜ六ペンスなのかと思ったものですが、十二進法の通貨単位では、ちょうどきりがよい数字でもあるのです。
1971年になってようやく旧通貨制度が廃止され、1ポンド=100ペンスのすっきりした十進法の制度に代わって現代に至っています。 

この十二進法時代の名残が、今日の英国人の暮らしにまだ残っていることに、先日気が付きました。 娘が通ったイギリスの小学校では、掛け算の九九のことを「Times Table」と呼んで、低学年の子供たちは日本と同じように暗唱するまで練習します。 ところが日本と違うのは「一の段」から始まる九九が「九の段」で終わらないのです。 イギリスの九九は12*12まで覚えます。 日本の九九は81通りですが、英国の九九は12*12=144通りです。 今日の十進法の暮らしなら「十一の段」や「十二の段」は不要なはずですが、ずいぶん昔の名残が未だに残っていて、先生たちも「十二の段」まで教えないと落ち着かないのでしょう。 

このややこしい12進法の呪縛をイギリス人にかけたのは、一千年近く前にイングランドを征服してノルマン王朝を開いた、元々はフランス貴族のノルマンディー公ウィリアム(=ウィリアム一世)だったことが知られています。 彼がやってくる前のサクソン時代のイングランドでは、「1シリング」=「5ペンス」だったものを、この新しい征服者が「1シリング」=「12ペンス」にせよと定めたのでした。 そしてその後、お金の単位については1971年までウィリアム一世の定めが守られてきたわけで、そしてまた、今でも21世紀の子供たちが「十二の段の九九」を習っているわけなのです。

ジョージ六世 六ペンス銀貨 ペンダントヘッド


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