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No.18215 マッピン&ウェッブ ヴィクトリアン スターリングシルバー オンスロー パターン ピクルフォーク
長さ 18.7cm、柄の最大幅 1.5cm、柄の最大厚み 3.5mm、重さ 39g、1893年 シェフィールド、マッピン&ウェッブ作、一万八千五百円

今から百二十年以上前に作られたオンスロー パターンのスターリングシルバー ピクルフォークです。 ヴィクトリアン後期の作になり、その古さはやはりアンティークとして魅力になりましょう。 

デイビット・スーシェ 主演のポワロシリーズ 『The Murder of Roger Ackroyd』において、オンスロー パターンのティースプーンが、短い時間ですがアップに映るシーンがありました。 原作はクリスティの代表作になりますし、DVDは1930年代の時代設定で、ディテールにこだわって見ていくと、アンティークなイギリスが映像を通して楽しめます。 オンスロー パターンのシルバーウェアをお使いの方にお薦めしたいと思います。

柄の最大 3.5ミリほどの厚みがあって、持ちはかりも40グラムほど、しっかりと作られたピクルフォークです。 写真三番目で柄の裏面に刻印されたブリティッシュ ホールマークは順に、シェフィールド アセイオフィスの王冠マーク、1893年のデートレター、そしてマッピン&ウェッブのメーカーズマークになります。 

オンスロー パターンとは、柄先のクルッとした渦巻きデザインを目印とするテーブルウェア パターンの一つで、1760年頃に初めて登場しました。 当時の議会政治家アーサー・オンスローから、このパターンの名前が由来するという説があります。 あるいはまた、ヴィクトリア期の優良シルバースミスであったフランシス・ヒギンスのパターンブックにおいてはスクロール(渦巻き)パターンとも呼ばれています。 

メジャーなパターンの系統からは、少し離れたところに位置するオンスローパターンになるわけですが、それはまた、かえって通好みと言えるかも知れません。 ちょっと違った銀のテーブルウェアがあると、気分も新たになって、日々の暮らしにアクセントとなるでしょう。 

クイーン・ヴィクトリアが若干18歳の若さで英国王位を継承したのは1837年のことで、この年から1900年までの64年間がヴィクトリア時代にあたります。 ヴィクトリア女王は在位期間が長かったことと、その時代は英国の国力が格段に伸張した時期と重なっていた為に、イギリス史の中でも特にポピュラーな国王となりました。 アンティークの分野にあっても、この時代の物品を指すヴィクトリアーナ(Victoriana)という用語もあって、ヴィクトリア時代を専門とするコレクタターが大勢いるわけなのです。

この品が作られたヴィクトリア時代の背景については、英国アンティーク情報欄にあります「14. Still Victorian」や「31. 『Punch:1873年2月22日号』 ヴィクトリアンの英国を伝える週刊新聞」の解説記事もご参考まで。

ピクルフォークはテーブルエチケットの変遷につれて、今ではあまり使われなくなってしまったシルバーウェアなので、品数も少なめで希少性があります。 手元に置いて眺めていても楽しめるアンティークですが、パーティーの時などにオードブルサーバーとして登場させたら面白いでしょう。 レア物アンティークは昔の時代に思いを馳せるのに貴重で、話題性があることから、シルバー愛好家にとってはコレクターアイテムとなっています。 

フォーク先端の横に突き出したアウタータインを特徴とするピクルフォークは、ヴィクトリア時代の19世紀半ばに初めて登場しました。 深さのあるピクルス瓶から酢漬けを取り出す為に長くなっているものですが、今日的には私たちの暮らしの中でアンティークを活かして使えれば、オリジナルの用途にこだわらなくてもいいかなと思っています。 

メーカーは言わずと知れた有名工房ですが、このシルバースミスの歴史をご紹介しましょう。

マッピン関連のアンティークを扱っていると、「Mappin & Webb」とよく似た名前の「Mappin Brothers」というシルバースミスに出会うことがあります。
「Mappin Brothers」は1810年にジョセフ マッピンが創業した工房で、彼には四人の後継ぎ息子がありました。四人は上から順にフレデリック、エドワード、チャールズ、そしてジョンで、年長の者から順番に父親の見習いを勤めて成長し、1850年頃には引退した父ジョセフに代わって、四兄弟が工房を支えていました。

ところが末っ子のジョンは、工房の運営をめぐって次第に兄たちと意見が合わなくなり、ついに1859年には「Mappin Brothers」を辞めて独立し、「Mappin & Co」という銀工房を立ち上げました。 以後しばらくの間、「Mappin Brothers」と「Mappin & Co」は「元祖マッピン家」を主張しあって争うことになります。

しかし最初のうちは「Mappin Brothers」の方が勢力があったこともあり、1863年には末っ子ジョンの「Mappin & Co」は「Mappin & Webb」に改名することとなりました。 Webbというのはジョンのパートナーであったジョージ ウェブの名から来ています。

「元祖マッピン家」問題では遅れをとったジョンでしたが、兄たちよりも商売センスがあったようです。 スターリングシルバー製品以外に、シルバープレートの普及品にも力を入れ、目新しい趣向を凝らした品や新鮮なデザインの品を次々と打ち出し、しかも宣伝上手だったのです。 ヴィクトリアン後期には当時の新興階級の間でもっとも受け入れられるメーカーに成長し、それ以降のさらなる飛躍に向けて磐石な基盤が整いました。

20世紀に入ってからの「Mappin & Webb」は、「Walker & Hall」や「Goldsmiths & Silversmiths Co」といったライバルの有名メーカーを次々にその傘下に収めて大きくなり、今日に至っています。 

また、「Mappin Brothers」ですが、時代の波に乗り切れなかったのか、1902年には「Mappin & Webb」に吸収されてしまっています。 ただ、その頃には三人にお兄さん達はとっくの昔に引退しており、後を継いだエドワードの息子さんも引退して、マッピン家のゆかりはいなかったようです。 そうこう考えると、ジョージアンの創業で、ヴィクトリア時代に二つに分かれたマッピンが、エドワーディアンに入ってまた一つの鞘に戻れたことはよかったのかなとも思うのです。

マッピン&ウェッブ ヴィクトリアン スターリングシルバー オンスロー パターン ピクルフォーク





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