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No.17109 鳥の紋章 ヴィクトリアン シルバープレート ナイフ with パテント オフィス マーク SOLD
長さ 22.0cm、重さ 68g、ブレードの最大幅 2.6cm、柄の最大厚み 1.3cm、1842年から1883年までの英国製、Martin, Hall & Co Ltd作、SOLD

ずっしり重たいヴィクトリアン アンティークです。 デスク周りに置いて、ペーパーナイフとしてお使いいただけたら、ゴージャスなヴィクトリアン アンティークでよいでしょう。

パテント オフィスの刻印があることから、ヴィクトリアン中期にイギリスで作られた品と分かることは、アンティークとして優れた特徴になっています。 

少なくとも今から130年以上前、おそらくは今から150年ほど前に作られた、たいへんに古い品ながら、ハンドルとブレードの取り付けはしっかりで、実用されましても長く使っていけるでしょう。

写真一番目に見えるブレード部分の装飾はハンドエングレービングです。 写真二番目に見えるように、裏面にも手彫りの彫刻が施されており、丁寧な仕事振りと思います。 ヴィクトリアン職人さんの手間のかかった手仕事であることは嬉しく思えます。

ハンドル部分の小花レリーフは、一つ一つが日本の家紋(木瓜紋)のようで、綺麗なデザインと思います。 ハンドルは大きめで手になじみ、71グラムという持ちはかりからくる重厚感が好印象です。 ブレード部分とハンドル部分のウェイトバランスがよいので、扱いやすく出来ています。

ブレード部分に見えているのは、Martin, Hall & Co Ltdのメーカーズマークです。 また、ブレードとハンドルの接合部にもMartin, Hall & Co Ltdの別の種類のメーカーズマーク「RMEH」の刻印があります。

メーカーズマークの「RMEH」は銀工房の共同パートナーであった、リチャード・マーチンと エベネザー・ホールのイニシャルを示していますが、この銀工房の歴史は次のようなものです。

「Martin, Hall & Co Ltd」の前身はジョン・ロバーツが1820年に始めた銀工房です。 ジョンには後継ぎがなかったので、ダービーシャーにあった中等学校の校長宛に、頭の良い若者がいたら後継ぎ候補に紹介してほしいと手紙を書きました。 学校長の紹介でジョンの徒弟に入ったのが、当時16歳のエベネザー・ホールで、1836年のことでした。 

彼は10年間の修業を積んだ後に、親方であるジョンと対等なパートナーに昇格して、工房名も「Roberts & Hall」となりました。 ロバーツの引退後には、新たにリチャード・マーチンをパートナーに迎えて、「Martin, Hall & Co Ltd」へと発展していきました。 そしてこの頃には1851年の万国博覧会、1862年のインターナショナル エキシビジョン等に出展するシェフィールドの有名メーカーになっていたのです。

工房の歴史を調べてみると、当時の英国社会の様子が垣間見れるので、興味が深まります。

写真三番目に見えるのは、コート オブ アームズ(=紋章)で、クレストの台座となるリースの上に、鷲の上半身が彫られています。 お手元にルーペがあれば、かなり精巧な彫刻であることがお分かりいただけるでしょう。

柄元には菱形のマークが刻印されており、これはイギリスのパテントオフィスにデザイン登録したことを示すマークです。 ヴィクトリア時代の1842年から1883年まで、この「菱形登録マーク」制度がありました。 菱形の四つ角に番号やアルファベット入れて登録情報を盛り込みます。 このアンティークの菱形マークからヴィクトリアン中期の作と分かるのは、写真のアンティークの優れたポイントと言えましょう。

このアンティークの作者は、わざわざデザインをパテント登録して特許を取っていることから考えても、自信を持って世に送り出した、ヴィクトリアン デザインの一つだったろうと理解できます。

写真のアンティークの場合には、デザインを見てもイギリスのアンティークと推定できますが、さらに「菱形登録マーク」が決定的な証拠となって、ヴィクトリアン アンティークと判定できることは、整理や分類好きなイギリス人気質に由来しており、その点でも Very Britishなアンティークと考えられます。

アンティークシルバーを扱っておりますと、英国のホールマーク制度は、その歴史の長さ、制度の継続性、シルバースミスへの徹底の度合い等すべての面で欧州諸国の中でもピカイチと感じます。 博物学を発展させてきたイギリス人は、物事を整理分類するのが大好きで、500年以上にわたりホールマーク制度を維持し発展させてきました。

この品の場合はシルバープレートとなりますが、こんどはイギリスのパテントオフィスの制度が、アンティーク年代特定のメルクマールとして大きな役割を果たしていることが分かるのです。 

手掛かりが多いという点で、イギリス アンティークのコレクターは恵まれた環境にありますが、これらはやはりイギリス人の国民性によるところが大きいように思います。 旅してみると感じるのですが、欧州人にも気質の違いがあって、偏見かも知れませんが、同じことをイタリア人やスペイン人に要求しても、無理な感じがしないでもありません。

シルバープレートの品ながら見所や手掛かりが多く、このアンティークの背景を考えていくと、英国人の国民性まで見えてくる、興味深いヴィクトリアーナと思います。

紋章の基礎知識について、少しお話しましょう。 一般に紋章はコート オブ アームズと言うのが正式です。 クレストという言葉もありますが、クレストとは紋章の天辺にある飾りを言います。 紋章の各部分の名称として、例えば英国王室の紋章の両サイドにいるライオンとユニコーンの部分をサポーターと言い、中央の盾状部分をシールドまたはエスカッシャンと言います。 さらに細かく言うと、写真の品に刻まれた紋章では紋章本体の下に棒状の飾りが見えますが、これはクレストの台座であって、リースと呼ばれます。

ただし、紋章のすべてを描いて使うのは、大掛かり過ぎるので、その一部をもって紋章とされることも多く、中紋章とか大紋章という言い方もあります。 しかし、その区別は厳密でないので、紋章の一部をもってコートオブアームズという言い方をしても差し支えありません。

コート オブ アームズ(=紋章)を使っていた人々とは、どういう階層の人たちであったのか、考えてみました。

コート オブ アームズの体系化や研究は、イギリスにおいて九百年ほどの歴史を持っており、紋章学(Heraldry)は大学以上の高等教育で学ぶ歴史学の一分野となっています。 中世ヨーロッパにおいては、多くの国々に紋章を管理する国家機関がありました。 今ではなくなっているのが普通ですが、面白いことにイギリスでは紋章院がまだ活動を続けています。

今日のイギリスは品のよい国のように見られることが多いですが、歴史を紐解きますと、節操のないことで名高い時代も長くありました。 キャプテン・ドレークは世界を航海して略奪をきわめて、当時の国家予算に匹敵するほどの金銀財宝を奪って帰ってきたので、エリザベス一世から叙勲を受けました。 お金がすべてという傾向は、紋章院においてもあったようです。

紋章学や紋章院の働きについて書かれた本が、『HERALDRY IN ENGLAND』(Anthony Wagner著、Penguin Books、1946年刊)です。

この本によりますと、紋章院が認めてきたコートオブアームズは四万あるとのこと。
一方で英国の王侯貴族にあたる家柄は千足らずとなっています。

この数字のバランスから分かることは、第一にコートオブアームズは王侯貴族だけのものではないこと。 第二に、そうは言っても、代々伝わるコートオブアームズがある家系は、英国の中でも数パーセントに過ぎず、その意味で日本における家紋とはだいぶ違っていること。

産業革命が進行して、新興富裕層が厚くなってきたのがヴィクトリア時代の初め頃になります。 当時の富裕層はコート オブ アームズを求めましたし、また求めれば手に入る性質のものであったようです。

なお、このアンティークが作られた当時の様子については、「英国アンティーク情報」欄の「31. 『Punch:1873年2月22日号』 ヴィクトリアンの英国を伝える週刊新聞」と「14.Still Victorian」の解説記事もご参考ください。

鳥の紋章 ヴィクトリアン シルバープレート ナイフ with パテント オフィス マーク





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