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No. 16384 エドワーディアン スターリングシルバー バターナイフ with フラワーエングレービング
長さ 16.6cm、重さ 27g、ブレードの最大幅 2.35cm、柄の最大幅 1.35cm、柄の最大厚み 3mm弱、1903年 バーミンガム、一万五千円

ホールマークを判読してみると、この品が作られたのは、百十年前のエドワーディアン初めで、1903年と分かります。 一世紀以上の時を経たエドワーディアン アンティークというのはやはりいいものです。

小花の彫刻が、ブレードの全面と、そして柄先に向かっても施されており、手入れの行き届いたアンティーク シルバーウェアです。 また、ブレード背の two notches構造には、トラディショナルなイングリッシュ バターナイフの特徴がよく出ています。 ブレードとハンドルの全面にわたるハンドエングレービングの優雅さは、エドワーディアンの時代に雰囲気をよく今に伝えているように思います。

四つのブリテッシュ ホールマークが柄の裏面にしっかり深く刻印されているのもポイントです。 ホールマークは順にメーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、ロンドン レオパードヘッド、そして1903年のデートレターになります。

英国のバターナイフの歴史とその特徴については、「英国アンティーク情報」欄にあります「5.トラディショナル イングリッシュ バターナイフ」の記事をあわせてご覧ください。 また、この品が作られた頃の時代背景については、英国アンティーク情報欄にあります「14. Still Victorian」の解説記事もご参考まで。

写真のアンティークが作られ、使われていた昔とはどんな時代であったのか、もう少し見てみましょう。 1903年といえば日露戦争の直前でありました。 『中央新聞 1903年10月13日付』の「火中の栗」という風刺画を見たことがあります。 コサック兵(露)の焼いている栗(満州)を、ジョンブル(英)に背中を押されて、日本が刀に手をかけて取りに行こうとしている風刺画です。 1902年には日英同盟が結ばれています。 ロシアはシベリア鉄道の完成を急ぎ、大規模な地上軍が極東に向けて集結しつつあった当時の状況が描かれています。

開戦後の翌1904年には、こんどは世界史上の大海戦の行方に関心が集まっております。 バルト海、北海、大西洋、喜望峰を経て日本へ向かうロシアのバルチック艦隊の動きが注視され、当時のイギリスでは日本海海戦の行方が大変な興味を持って見守られていたとの記録が残っています。

ロシアのバルチック艦隊は日本へ向けて航行中でした。 そして1904年10月にはイギリス沖合いの漁場ドッガーバンクで、漁船を日本の水雷艇と誤認したバルチック艦隊が、英国漁船砲撃事件を引き起こして、英国世論が激高する事態となっています。 

日本に向かって戦争に行くロシア艦隊が、途中で英国漁船を何百発もの砲弾で打ち払って、間違いと分かった後には救助もせずに通り過ぎてしまったのですから、誰だって怒るだろうと思います。 

当時の日本とイギリスは日英同盟を結んでおりましたが、ドッガーバンク事件を契機にイギリス世論もおおいに日本に味方しました。 そしてイギリス政府によるバルチック艦隊の航海妨害などナイスアシストもあって、日本海海戦に向けて有利な展開となったのは幸いでした。 

明治39年(1906年)には夏目漱石の『草枕』が出ております。 時代背景は日露戦争中ですので、ちょうどこのアンティークと重なっております。 東京を離れた温泉宿で非人情の旅をする画工の話ですから、当時の社会情勢がメインテーマではありませんが、それでも、出征していく若者を見送ったり、日露戦争や現実社会の影が背景に見え隠れしています。 昔の時代に思いを馳せるアンティークな資料として、私のお気に入りの一つです。

エドワーディアン スターリングシルバー バターナイフ with フラワーエングレービング




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