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No. 15557 ジャポニスム モチーフ ヴィクトリアン シルバープレート ピクルフォーク
長さ 18.8cm、重さ 27g、柄の最大幅 1.4cm、柄元の最大厚み 2.5mm、ヴィクトリアン後期 1880年代の英国製、一万円

写真四番目をご覧ください。 柄の裏面の中ほどに見える菱形のマークは、イギリスのパテントオフィスにデザイン登録したことを示すマークです。 ヴィクトリア時代の1842年から1883年まで、この「菱形登録マーク」制度がありました。 菱形の四つ角に番号やアルファベット入れて登録情報を盛り込みます。 このアンティークの菱形マークを読み取ると、1880年にデザイン登録したことが分かります。 まさに日本趣味の大流行の時代に重なっているわけです。 

このアンティークの作者はジャポニスム モチーフてんこ盛りのデザインを、わざわざ登録して特許を取っていることから考えても、自信を持って世に送り出した、ヴィクトリアン後期のデザインの一つだったろうと理解できます。

写真のアンティークの場合には、デザインを見てもヴィクトリアン後期のアンティークと推定できますが、さらに「菱形登録マーク」が決定的な証拠となって、デザイン登録が1880年、作られたのはそれから数年以内であろうと分かることは、整理や分類好きなイギリス人気質に由来しており、その点でも Very Britishなアンティークと考えられます。

アンティークシルバーを扱っておりますと、英国のホールマーク制度は、その歴史の長さ、制度の継続性、シルバースミスへの徹底の度合い等すべての面で欧州諸国の中でもピカイチと感じます。 博物学を発展させてきたイギリス人は、物事を整理分類するのが大好きで、500年以上にわたりホールマーク制度を維持し発展させてきました。

この品の場合はシルバープレートとなりますが、こんどはイギリスのパテントオフィスの制度が、アンティーク年代特定のメルクマールとして大きな役割を果たしていることが分かるのです。 

手掛かりが多いという点で、イギリス アンティークのコレクターは恵まれた環境にありますが、これらはやはりイギリス人の国民性によるところが大きいように思います。 旅してみると感じるのですが、欧州人にも気質の違いがあって、偏見かも知れませんが、同じことをイタリア人やスペイン人に要求しても、無理な感じがしないでもありません。

シルバープレートの品ながら見所や手掛かりが多く、このアンティークの背景を考えていくと、イギリス工芸史や英国人の国民性まで見えてくる、興味深いヴィクトリアーナと思います。

柄に施されたレリーフの様子を写真二番目で詳しくご覧いただくと、飛翔する鳥のデザイン二つに、小花や蝶も見えています。 丸い飾りは手鏡の裏ではないかと思います。 こんどは写真四番目で裏面の様子をご覧ください。 柄先には扇デザインが目立っていて、飛翔する鳥、蝶も飛んでおり、さらには柄元に向かって竹のデザインが卓越していきます。 

表と裏にジャポニスムモチーフがてんこ盛り、私たち日本人から見ますと、ちょっと装飾過多のような気がいたします。 しかし、これがヴィクトリアン時代に盛んであったイギリスにおける日本美術工芸研究の成果であるのです。

オーセンティック ムーブメントの流れのなかで、ジャポニスム モチーフをいっぱい研究して、それを全部出してしまうところが、なんとも外国人の仕業という感じで微笑ましく、日本工芸の奥にある閑寂をよしとする心の傾向までには到達しえなかったのだなあと。 それでも、これだけ日本のモチーフを研究して、今に残るテーブルウェアを作り上げた熱意には頭が下がる思いがいたします。

1853年のペリー来航以来、日本の工芸が広く西欧に紹介され、英国シルバーの世界にも日本の伝統的なモチーフとして蝶などの虫、飛翔する鳥、扇、竹、さくら等のデザインが取り入れられていきました。1870年代、80年代のこうした潮流はオーセンティック ムーブメントとして知られています。

サムライの時代が終わった頃、1870年代前半における英国のジャポニスム取り込みについては、英国アンティーク情報欄の「10.エルキントン社のシルバープレート技術と明治新政府の岩倉使節団」記事後半で詳しく解説していますのでご覧になってください。

その後のジャポニスム研究は、モチーフブックなどの成果となって、以下のような書籍が次々と発表されていきます。
「Art and Art Industries of Japan(1878年、 Sir Rutherford Alcock)」、 「A Grammar of Japanese Ornament and Design(1880年、Cutler)」、「Book of Japanese Ornamentation(1880年、D.H.Moser)」

そして1880年代の後半にはジャポニスム モチーフブックの集大成である「Japanese Encyclopedias of Design(Batsford)」が出て、Japanese craze(日本趣味の大流行)のピークとなりました。

ヴィクトリアン後期の英国にあってはジャポニスムが新鮮で、大きな顧客需要があり、モチーフブック等の基礎資料も充実していたことが、今日私たちが日本趣味な英国アンティークにお目にかかれる理由なのです。 百数十年も前に多くのイギリス人たちが日本に大いなる関心を持っていたことには驚かされます。

ちなみに、イギリスにおけるジャポニスム研究書のさきがけとなった「Art and Art Industries of Japan(1878年、 Sir Rutherford Alcock)」の著者であるオールコックという名前、聞いた覚えのある方もいらっしゃるかと思います。

サー・ラザフォード・オールコックは、幕末の日本で数年間暮らしたイギリスの初代駐日公使です。 当時のイギリス公使館は、現在の品川駅から徒歩七分、港区高輪の東禅寺に置かれていましたが、オールコック在任中には、攘夷派浪士が英国公使館を襲撃した東禅寺事件など起こっています。 まさに命がけの日本勤務であったろうと思います。 彼は幕末日本滞在記である『大君の都(岩波文庫 上・中・下)』も残しています。

オールコックと言えば、幕末期のイギリス外交官としての仕事に注意が向きがちですが、一方では日本美術に傾倒し、「Art and Art Industries of Japan(1878年、 Sir Rutherford Alcock)」という著作も残しているわけで、日本のよさを広く海外に紹介してくれた、よき広報官という側面もあったのでした。

オールコック初代駐日公使、「Art and Art Industries of Japan」、ヴィクトリア時代のJapanese craze(日本趣味の大流行)、ジャポニスム研究、数多くのモチーフブック等々、こういう歴史的な背景があって、イギリスで作られ現代に到っているシルバープレートのピクルフォークというわけです。

ジャポニスム モチーフ ヴィクトリアン シルバープレート ピクルフォーク



裏面の様子1


裏面の様子2


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