アンティーク 英吉利物屋 トップ(取り扱い一覧)へ 新着品物 一覧へ アンティーク情報記事 一覧へ 英吉利物屋ご紹介へ

No. 15154 ライオン ランパント クレスト スターリングシルバー デザートスプーン (立ち姿ライオンの紋章)
長さ 17.5cm、重さ 40g、ボール部分の長さ 6.0cm、ボール部分最大幅 3.55cm、深さ 0.9cm、1863年 ロンドン、Henry Holland作、一万二千三百円

15153 デザートスプーン と一緒に求めた二本目になります。 このシリーズはこれで終りです。

今から百五十年近く前のヴィクトリアン中期に作られたビーズパターンのスターリングシルバー デザートスプーンです。 柄先に彫刻された立ち姿ライオンの紋章が印象的です。 イギリスでアンティークという言葉を厳密に使うと、百年以上の時を経た品ということになりますが、この品の場合は百年どころか、百五十年に近い古さとなっており、アンティークとしての大きな魅力と思います。 

手にしてみると、40グラムと持ちはかりがあり、銀がしっかり使われているのもよいでしょう。 また、柄の最大厚みは3.5ミリほどあって、横から見てみると写真四番目のように分厚い柄といった感じで、重厚な雰囲気のアンティーク デザートスプーンに仕上がっています。

写真二番目にあるように、柄先には立ち上がって咆哮するライオンの紋章が入っているのも、この品の魅力と言えるでしょう。 ライオンの歩行姿マークが「ライオンパサント(Lion Passant)」であるのに対して、ライオンが後ろ足で立ち上がった姿は、「ライオンランパント(Lion Rampant)」と呼ばれます。 横棒のリースの上に王冠があり、その上にはライオンランパントという紋章は精巧な仕上がりなので、手元にルーペがあれば、アンティークを手にする楽しみが増えると思います。

イギリス人はライオン好きなので、紋章にもライオンデザインが採用されることが多いのです。 ちなみに英国に数多くあるパブの中で、最も多い名前のパブは「Red Lion」です。 (「34. アンティークなパブの楽しみ」にレッドライオンの例がいくつか出ています、ご参考まで。)

写真三番目に見えるように、柄の裏面には五つのブリティッシュ ホールマークがしっかり深く刻印されてるのも、この品のよい特徴です。 ホールマークは順に「Henry Holland」のメーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、ロンドン レオパードヘッド、1863年のデートレター、そしてヴィクトリア女王の横顔マークになります。

この品を作った「Henry Holland」は有名シルバースミスの「Holland, Aldwinckle & Slater」と実質同体で、英国シルバーウェアの歴史の中でも大きな役割を果たしてきた有力メーカーの一つです。 イギリスのアンティーク シルバーウェアに関する参考書を紐解きますと、ヴィクトリア期の重要シルバースミスとして、ジョージ・アダムスとフランシス・ヒギンスが挙げられることが多いようです。 この二大メーカーを繋ぐ役割を担ったのが「Holland, Aldwinckle & Slater」でありました。 

「Holland, Aldwinckle & Slater」はヴィクトリア時代が始まった翌年の1838年に、ヘンリー・ホランドがロンドンで創業した銀工房です。 1866年にはElizabeth Eaton & Sonを買い取って、事業規模を拡大していきます。 1883年には新たに二人のパートナーが加わり、工房名は「Holland, Aldwinckle & Slater」と変わりました。 その後もいくつかのシルバースミスを買収し、ヴィクトリア期を通じて有力なシルバースミスに成長していきましたが、1883年にこの時代の最有力シルバースミスであったジョージ・アダムスのChawner & Coを買収したことは大きな出来事となりました。 Chawner & Coから移ってきた腕の確かな銀職人たちは「Holland, Aldwinckle & Slater」の名声を高めることとなったのです。

その後の工房史も見ておきますと、エドワーディアンの時代以降まで優秀な銀職人が集まる一流メーカーとして活躍しましたが、1922年にはフランシス・ヒギンスに買収されることになって、その歴史を終えました。 ヴィクトリアンとエドワーディアンの時代を通して、英国シルバーウェア史の中心に常に位置してきた「Holland, Aldwinckle & Slater」は、当時の一流メーカーの一つと言ってよいでしょう。

紋章の基礎知識について、少しお話しましょう。 一般に紋章はコート オブ アームズと言うのが正式です。 クレストという言葉もありますが、クレストとは紋章の天辺にある飾りを言います。 紋章の各部分の名称として、例えば英国王室の紋章の両サイドにいるライオンとユニコーンの部分をサポーターと言い、中央の盾状部分をシールドまたはエスカッシャンと言います。 さらに細かく言うと、写真のデザートスプーンに刻まれた紋章では王冠の下に棒状の飾りが見えますが、これはクレストの台座であって、リースと呼ばれます。

英国王室の紋章については、以下もご参考まで。
http://www.igirisumonya.com/14864.htm

ただし、紋章のすべてを描いて使うのは、大掛かり過ぎるので、その一部をもって紋章とされることも多く、中紋章とか大紋章という言い方もあります。 しかし、その区別は厳密でないので、紋章の一部をもってコートオブアームズという言い方をしても差し支えありません。

コート オブ アームズ(=紋章)を使っていた人々とは、どういう階層の人たちであったのか、考えてみました。

コート オブ アームズの体系化や研究は、イギリスにおいて九百年ほどの歴史を持っており、紋章学(Heraldry)は大学以上の高等教育で学ぶ歴史学の一分野となっています。 中世ヨーロッパにおいては、多くの国々に紋章を管理する国家機関がありました。 今ではなくなっているのが普通ですが、面白いことにイギリスでは紋章院がまだ活動を続けています。

今日のイギリスは品のよい国のように見られることが多いですが、歴史を紐解きますと、節操のないことで名高い時代も長くありました。 キャプテン・ドレークは世界を航海して略奪をきわめて、当時の国家予算に匹敵するほどの金銀財宝を奪って帰ってきたので、エリザベス一世から叙勲を受けました。 お金がすべてという傾向は、紋章院においてもあったようです。

紋章学や紋章院の働きについて書かれた本が、『HERALDRY IN ENGLAND』(Anthony Wagner著、Penguin Books、1946年刊)です。

この本によりますと、紋章院が認めてきたコートオブアームズは四万あるとのこと。
一方で英国の王侯貴族にあたる家柄は千足らずとなっています。

この数字のバランスから分かることは、第一にコートオブアームズは王侯貴族だけのものではないこと。 第二に、そうは言っても、代々伝わるコートオブアームズがある家系は、英国の中でも数パーセントに過ぎず、その意味で日本における家紋とはだいぶ違っていること。

産業革命が進行して、新興富裕層が厚くなってきたのがヴィクトリア時代の初め頃になります。 当時の富裕層はコート オブ アームズを求めましたし、また求めれば手に入る性質のものであったようです。

なお、このアンティークが作られた当時の様子については、「英国アンティーク情報」欄の「31. 『Punch:1873年2月22日号』 ヴィクトリアンの英国を伝える週刊新聞」と「14.Still Victorian」の解説記事もご参考ください。

それから、この品が作られた頃の日本史年表も眺めてみましょう。 三年前の1860年には安政の大獄で引き締めを図った幕府の大老・井伊直弼が江戸城桜田門外の変で暗殺され、以降は幕府の権威も地に落ちて、ついに四年後の1867年には大政奉還となって江戸幕府が終る激動の時代でありました。 

特に写真のアンティークが作られた1863年という年には、生麦事件の報復としてイギリス艦隊が鹿児島湾を砲撃した薩英戦争が起こっているのは興味深いところです。 薩摩藩とイギリスは、この戦争を契機にして、薩摩の人たちは異人排斥が無理だと分かり、逆にイギリスは江戸幕府よりも薩摩藩に肩入れしていくきっかけになったわけですから、日英関係の大きな転換点であったのです。

ライオン ランパント クレスト スターリングシルバー デザートスプーン (立ち姿ライオンの紋章)






アンティーク 英吉利物屋 トップ(取り扱い一覧)へ 新着品物 一覧へ アンティーク情報記事 一覧へ 英吉利物屋ご紹介へ