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No. 14893 ジョージアン スターリングシルバー オールドイングリッシュパターン テーブルスプーン with ダブル クレスト
長さ 22.1cm、重さ 63g、ボール部分の長さ 7.8cm、最大幅 4.6cm、ボールの深さ 1.1cm、1830年 ロンドン、SOLD

今から百八十年も昔、ジョージアンの時代に作られたスターリングシルバー オールドイングリッシュ パターンのテーブルスプーンです。 柄先に彫られた手彫りのクレスト(紋章)は、「王冠に乗った鹿」と「ホーン(角笛)」になりますが、ダブル クレストというのはレアと思います。 また、あまり使われることなく現在に至っているようで、コンディション良好なアンティークであることもポイントです。

写真三番目に見えるように、柄の裏面にはブリティッシュ ホールマークが、どれもしっかり深く刻印されているのはよいでしょう。 ホールマークは順にメーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、ロンドン レオパードヘッド、1830年のデートレター、そしてジョージ四世の横顔マークです。

柄の横幅は紋章の彫られているあたりが最大で2.4センチほどあり、柄の厚みも最大で4.5ミリほどありますので、手にしてみるとアンティーク シルバーの迫力が伝わってきます。 実際のところ、日常使いのテーブルスプーンとしては、現代感覚からするとかなりのサイズに作られています。 昔のテーブルウェアというものは、これほどに大きなものなのかという博物学的な興味も湧いてくるアンティークと思うのです。

時代を遡るほど、銀のテーブルウェアはサイズが大きくなっていく傾向があります。 その理由として、遠い昔であればあるほど、さまざまな財に対する銀の相対価値が高くて、銀が富の象徴であったことと関係しているようです。

かなり古いスプーンをお求めいただいたお客様から、ジョージアンの時代に銀器を使っていた人たちはどんな人たちだったのかというご質問をいただきました。 遠い昔に銀器を使っていたのは豊かな人たちであったに違いありませんが、この問題はよく考えてみると、もっと奥の深い問題であることが分かります。

ジョージアンの時代に銀器を使っていた人たちは、百年ほど前のヴィクトリアン後期に銀器を持っていた人たちよりも、一段と社会階層が上のお金持ちだったと思われます。 ジョージアンの時代には、まだまだ銀は社会の上層階級の占有物であったからです。 ヴィクトリア期には英国の経済力も大いに伸長したので、ヴィクトリアン後期の英国では銀器が新興富裕層にまで普及し、その裾野が広がりました。 つまり銀器を使った昔のお金持ちといっても、ジョージアンの時代とヴィクトリアンの時代ではその意味合いや程度が大きく異なるのです。

「International Hallmarks on Silver」という本に、過去の銀世界生産量推計という面白い資料がありました。 その資料によれば、1830年当時の年間生産量は460トンほどで、ヴィクトリア時代最後の1900年は5400トンとあります。 時代と共に生産量が十倍以上に増しているわけですが、逆にみると、より昔の時代における銀の希少性について、お分かりいただけるのではないでしょうか。

ジョージアンとヴィクトリアンでは銀のスプーン一本を取ってみても、そのステータスシンボルとしての価値はかなり違っていたわけです。 もっと詳しく知るためには、英国社会史や経済史の理解が不可欠になりましょう。 これからも少しずつ調べて、個々のアンティークが持つ時代背景について、英吉利物屋サイトでお伝えしていければと思っています。

銀の価値を考えているうちに、もしこの銀スプーンを江戸時代にタイムスリップさせたら、いったいどのくらいの価値があったものだろうかと思考実験をしてみました。 当時の英仏独伊といった国々のスタンダードは金銀複本位制で、銀の地金はマネーと等価であり、各国通貨への換算額も容易に計算できます。 ところが、江戸時代の日本では違った貨幣制度が採用されておりましたので、ややこしいところがあります。 

例えば時代劇など見ておりますと、両替商というのが出てきて、しばしば御奉行様と結託しては悪事を働いたりしております。 両替商の仕事といっても、鎖国の江戸時代に、海外旅行用の外貨両替なんてことはありえません。 それでは、この両替商はいったい何を両替していたのでしょうか。 江戸時代の日本では、金貨である小判と、銀貨、そして寛永通宝といった銭、これら三種マネーの交換レートが市場にまかされており、変動相場制になっていました。 極論すれば、ドルとユーロとポンドというレート変動する三通貨が一国の中で流通していたようなもので、そこに両替商の存在意義があったのです。

そんなわけで、写真の銀スプーンは一種の銀地金でありますが、江戸時代のマネーに換算するには、小判か銀貨か銭か、難しさが伴うのです。

ここでは、なるべく簡単な試算ということで、天保一分銀への銀地金換算をしてみましょう。 イギリスでヴィクトリア時代が始まった1837年は、日本では天保8年にあたり、この年から天保一分銀の鋳造が始まっています。 天保一分銀は江戸時代の中でも、特にエポックメイキングな銀貨であって、それがまたヴィクトリアンと重なっていることから、この銀貨について少し詳しくなるのもよいでしょう。

天保一分銀の重さは8.62グラム、銀純度は99%ほぼ純銀でした。 写真のスプーンは重さが63グラムのスターリングシルバーですから、銀の重さは63g*92.5%=58.3gとなります。 そうしますと、銀地金換算で、この銀スプーンは天保一分銀 6.7枚ということになります。 

これはざっくり言って小判が二枚弱ということで、当時の国際標準からすると相当な金額になってしまうのです。 その理由は徳川幕府の貨幣制度にありました。 幕府は長い年月をかけて銀高金安誘導に成功し、天保一分銀の鋳造をもって、素材に銀を含むことから銀貨ではあることは間違いないけれども、その実態は銀高金安を固定する計数貨幣を完成させたのでした。 

江戸時代の人々は小判と銀貨を使ってはおりましたが、その貨幣制度は「自由な貨幣鋳造」が認められていなかったという点で、金銀複本位制というよりも、むしろ現代の管理通貨制度に近い仕組みでありました。 なお、「自由な貨幣鋳造」とは、人々が造幣局に持ち込んだ金銀の地金を、造幣局が金属的に等価な金貨あるいは銀貨と交換してくれることを意味します。 

タブルクレストが刻まれた時期についてご質問をいただきました。 このアンティークについて考えてみることは興味深いので、皆様にもご紹介させていただきましょう。

イニシャルや絵柄があるスプーンのうち、多くはスプーン製作と同時に彫られたろうとは考えられます。 しかし一般論として、柄先に彫られたすべてのイニシャルや絵柄に言えることになりますが、厳密に申せば柄先の彫りが刻まれた時代を特定することは出来ないでしょう。

ジョージアンやヴィクトリアンのテーブルスプーンやデザートスプーンを例に考えてみますと、柄先に何の彫りもない品も少なからず見受けられます。 スプーンには必ず彫りを加えると作法が決まったものではない為です。 逆に言うと、すべてのイニシャルや絵柄は、そのスプーンが作られたときに彫られたとは言い切れないものです。

シルバースミスに頼めば、もとのイニシャルを削って彫り変えることも可能でした。 現在でもアンティークスプーンを求めて、新しいオーナーがご自分のイニシャルを入れることはあります。 昔の時代も同様だったと思われます。

14893テーブルスプーンのダブルクレストについては、「王冠に乗った鹿」と「ホーン(角笛)」の絵柄は左右同程度のサイズで並んでおりますことから、同時にまとめて彫られたことは間違いないでしょう。 二つのクレストに時間的なずれはないということです。

スプーン全体及び絵柄の彫りのコンディションがよく、あまり使われることなく現在に至っている様子から判断して、二つのクレストが彫られた時期はスプーンが作られたと同時である可能性が最も高く、その確率は一般のイニシャル入りテーブルスプーンの場合と比べて、同程度以上と思われます。

ジョージアン スターリングシルバー オールドイングリッシュパターン テーブルスプーン with ダブル クレスト




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